2008-01-01から1年間の記事一覧

王貽讓老人(78歳)の話

日本人はやって来てはこの村をひどく侵害した。物が略奪されたり破壊されたのはほんとうに多かった。ある村人が日本人に見つかったとき、日本人は「おまえは‥‥」といって、彼を取り囲み、手榴弾を爆発させた。とても残酷なやり方だった。私ともう一人で遺体…

孫家溝 

今回9月にこちらに戻って以降、まったく初めての取材という人はほとんどいません。ひとつには、この界隈、つまり私がバイクの後ろに乗せてもらって日帰りできる距離の村々での取材は、だいたい終わったといっていいと思います。それで、最近は、これまでに取…

月を愛で、銀河を仰いで‥‥

タイトルは優雅ですが、トイレの話です。トイレのことは中国語で「厠所」といいます。でもこれは日本でいえば、「便所」といった感じで、トイレだと、「洗手間」ということが多いようです。公衆トイレやホテルのトイレなどは「洗手間」とか「WC」とか書い…

老後の保障

「墓を掘る」で書いた葬儀の写真ができたので、高世選老人を訪ねました。賀家湾から歩いて1時間の「大長」という村です。私の“ぶしつけ”な好奇心を気持ちよく受け入れてくれた墓堀り4人組の写真も少し大きめに焼きました。ひとつには、おじいちゃんがかなり…

閑話

この間ずーっと暖かい日が続いていて、やはり地球温暖化の影響かしらと、大局的にはNO!、とりあえずはOK!と、喜んでいたのですが、一昨日あたりから急に寒くなりました。夕方6時に温度計を出して測ってみたら、外気温−10℃、室温7℃でした。しかし、17℃の温度…

墓を掘る

「墓を掘る」というと、日本ならもうどうしようもなく暗〜いおどろおどろしい哀しいイメージしか沸かないと思うのですが(最も今は火葬で、墓は掘らないですが)、こちらでは墓掘りも確かに重労働だけど、暗いイメージはまったくありませんでした。それどこ…

八十歳の祝い

古稀の祝いというのは特別にはないみたいですが、今日、村で八十歳の誕生日を祝って「秧歌」が行われました。もちろん主催者側がお金を出して秧歌隊を呼んだもので、下に書いた「3周年」の祝いのときと同じものです。村の真ん中くらいにちょっとした空き地…

照片 3

私は「老人」と「葬儀」専門で、子供の写真を撮ることは滅多にないのですが、なんとか探し出してみました。日本の子供たちとかわらないでしょうか?それとも違いますか?感想を聞かせてくださると嬉しいです。 最近になって、どうやら近くに新しい通信塔が立…

曹老人のこと

ようやくにして曹老人から聞き取りをすることができました。曹老人のことはずいぶん前に書いたことがあるのですが、もうこのブログを読んでくださっている方も変わっていると思いますので、もう一度。(351回書いた過去ログは、操作ミスからきれいさっぱり消…

照片 2

安眠亭さんに喜んでいただけそうな(?)葬儀の様子を。ただし、一番大事なところ(納棺、出棺、合葬の様子など)はビデオを回していたのでありません。また機会があれば。いずれも、賀登科老人の葬儀です。この祭壇はかなり豪華な方です。値段を聞き忘れま…

照片(ジャオピエン)

ネットの繋がりがいいので、なんの脈略もありませんが、照片を7枚ほど。作物の収穫はすっかり終わって、もう畑に出る人もいなくなりました。右側に積んであるのは、トウモロコシの殻です。燃料に使います。羊を飼っている人だったら飼料に。「羊のように‥‥」…

郷に入れば

ここのところ晴天が続いています。なつめは浣腸をしてから日に日によくなり、今はもうすっかり快復しました。それどころか元気すぎて少し困っているくらいです。あまりにヤンチャで、時々村人から“苦情”が私の耳まで届いてくるのです。なつめは基本的に鎖で…

3周年の祝い

15日付けのコメント欄に「古稀のお祝いがある」のでレポートします、と書いたのですが、私が相変わらず土地の言葉が聞き取れず、ぜんぜん違ってました。「古稀の祝い」ではなく、「3周年の祝い」でした。ですがせっかくなので、これのレポートを。日本だと「…

犬を売る

ようやくなつめから目が離せるようになったし、朝っぱらから停電で、じっとしていると寒いので、下の招賢まで買い物に出かけました。その帰り道で恐ろしいものを見てしまったのです。トラックの荷台に2段の檻がしつらえてあり、中にたくさんの犬が積まれてい…

なつめが死んだ

と、もしかしたら、イヤおそらく書かねばならないだろうなと、マジで覚悟しました。私の選択が誤っていたと、なつめを抱いて泣きました。11月4日、諸々の事情があって、なつめに避妊手術を受けさせたのです。しかし、磧口の友人の紹介で離石の“動物病院”の前…

永訣の別れ

(しばらくネットが繋がらない状態で、留守にしてしまいました)先月25日に村の中をぶらぶらしていたら、「今朝方、賀登科老人が死んだ」というニュースが飛び込んできました。前に住んでいた部屋の2軒となりのヤオトンで、しょっちゅう顔を合わせていました…

ベテランの技

賀家湾では収穫の秋まっさかりです。残念ながら商品作物の棗は2年続きで壊滅状態でしたが、その他の作物は夏場の高温多雨状態で、まずは豊作でした。村人たちは朝早くから日が暮れるまで、大きな荷物を担いで山道を上り下りしています。木のつるで編んだ籠を…

娶媳婦(チーシーフゥ)

20日は朝から小雨が降り続くあいにくの天気でしたが、賀家湾でふたつの結婚式がありました。結婚式といっても、こちらでははっきりと別れていて、娘を嫁に出す場合は「出嫁」(チュージャー)といい、嫁を迎える場合を「娶媳婦」といいます。当然後者の方が…

ひとりヤオトン

瀋陽から戻ってしばらくは天気が悪かったのですが、1週間ほど前から晴天が続くようになりました。日中の陽射しがきついので気温もどんどん上がり、夜間も前より暖かくなりました。しばらく前は、日が暮れると外気温が10℃を割った日もあったのです。これを書…

なぜでしょう?今度は、コメントがどうしてもアップできません。

コメント;さくらさん、お久しぶりです。でも「山東省」の天気は皆目わからないです。いずれにしろ、30日の滞在ということは、寒くなると思いますが。 私が今いるところでは、天気が悪い日の夜は、外気温で10度をわっています。村人たちはそろそろ火を入れよ…

家捜し

今日もまた雨が降っています。去年の記録を見てみると、ちょうど今ごろ、国慶節休暇をはさんで2週間雨が降り続き、あちこちで道路が寸断されました。おかげで農民たちの貴重な現金収入の棗が全滅(収穫期に雨にあたると、実が割れて商品にならない)したので…

天津駅

10日間の修学旅行が終わって、一行は瀋陽から一気に天津まで。かつては考えられなかったことですが、瀋陽→北京が4時間、北京→天津が30分でむすばれるようになったのです。ところが、そんなに便利になったというのに、最後の夜に天津一の老舗「狗不理」で食べ…

北京南駅

私は今天津にいます。午後には生徒たちが天津港に着くので、昨日朝、瀋陽をたって北京経由で夕方到着しました。瀋陽→北京は特急で4時間、北京→天津は新幹線(在来線とは線路が違う)で30分。いずれも開通したばかりで、初めて乗りました。瀋陽→北京は、かつ…

特急で戻りました。

きのう賀家湾に戻りました。今回は体調が悪かったのと、15日には瀋陽に飛ばなければならないこともあって、北京→太原を初めて飛行機に乗りました。いやぁ速いですね。1時間かからないです。でもオイルチャージがついて、720元は高かった。それで太原には泊ま…

劉有生老人(81歳)の話

日本人は汾陽で一度に47人を殺した。その中に私の父がいた。当時私の父は周りの村の47人と一緒に汾陽に荷を運んでいた。汾陽の慶勝店(*店名)に行って、荷を整えてから食事をしようとした。東則番(*地名)のひとりが外へ酒を買いに行って、帰ってくると日…

白探有老人(76歳)の話

日本人は磧口にやって来て、西湾に1ヶ月以上住んだ。毎日近隣の村々を侵犯し、私たちは毎日あっちからこっちへと逃げ隠れなければならなかった。ときには日本人に見つかって自分の家に連れ戻され、金や食べる物を出せと要求された。私の村の老七という男の連…

賀翻英老人(73歳)の話

当時私は8,9歳で東李家山に住んでいた。村はすでに“維持”されていた。日本人は石門焉に駐屯していて、時々やって来たが、人を殴ったりはしなかった。彼らは子供たちを頭の上に持ち上げてぐるぐる回したり、また下ろしたりして遊んでいた。その後“維持”され…

李品象老人(79歳)の話

日本人が来たときに、3日間支工(*労働を提供すること、人)をさせられたことがあるので、自分の眼で見たことはたくさんある。私は当時13歳で叔父の代わりに行った。もしも行かなければひとりにつき毎日3枚の銀貨を払わなければならなかったが、私の叔父は金…

薛開考老人(75歳)の話

日本人は私の村に何度もやって来た。あるとき、私たち十数人が大きな石の下の割れ目に隠れていたとき、見つかって全員捉まって村に戻された。私たちは彼らの言葉がわからなかった。彼らは私の父を殴りつけ、父は恐ろしくなって跪いた。それから日本人は私た…

張貴勤老人(88歳)の話

日本人が来たときはほんとうに恐ろしかった。昼だろうと夜だろうと村人はみな野山に逃げて隠れた。あの頃私にはすでにひとりの子供がいたが、逃げるときはつるで編んだ笊を提げて中に子供を入れた。平時は笊をカン(;土でできたオンドル式のベッド)の上に…