帰国しました。

3月14日、村のすべての荷物を引き払って帰国しました。この先彼の地に行くことはあっても、住むことはありません。理由は3つで;
まず、日中戦争時の老人たちの記憶を聞き取るという私の仕事が終わったからです。当時の記憶を持つ人は、平均寿命の短い彼の地では、もうすでにほとんど亡くなっており、あるいは、ほんの5,6歳時の記憶ということで、後になって付け加えられたものが多く、どんどん信ぴょう性が希薄になってきていたということがあります。

2番目には、私自身の身体の問題があります。10℃前後という環境の中でずっと“生活する”ということは、やはりフツーの人間の肉体能力を超えるものがあり、彼の地の伝統に則った暮らし(部屋を空けないで誰かが火の番をする)を選ばない限り、限界であると判断したからです。

3番目にはビザの問題です。すでに5年ほど前から長期ビザの取得が非常に難しくなっており、この間私は香港やマレーシアの中国領事館でビザを取得していました。香港の場合、ビザの発給地はロスアンジェルスです。これはいわゆる“闇”ルートで、当然法外な料金が請求されます。香港、マレーシアまで行く航空券、およびビザが発給されるまで待つホテル代などで、わずか1年のビザをとるために、30万円ほどがかかりました。もうこれだけの費用を用意することができなくなったからです。

この場でのご連絡が遅くなったのは、これまで嘱託職員として置いていただいていた松本の通信制高校を辞めたので、ネット環境がなくなり、相変わらずネット難民をしていたからですが、今日は名古屋のホテルにいます。

このPCの起動が怪しくなり、新しいのを買おうかとYAMADA電機に行ってみたのですが、今や10しかないんですね、しかも10は初期設定に7,8時間かかるとかいわれて買わないで帰ってきました。中古でもいいので、8を買おうと思っています。

日本に帰ったらもっといろいろ快適な生活ができると思っていたら大きな間違いでした。私の松本の寓居は、美ヶ原の麓にあるのですが、以前は1日に7,8本走っていたバスが1年ほど前からなくなって(客がいないから)、町の中心部に出るには自転車か徒歩を余儀なくされてしまいました。松本駅まで徒歩で1時間ちょっとです。この界隈はどこでも一家で成人している人の数だけ車があって、おまけに農作業用(界隈はぶどうの産地)の小型トラックもあるので、平均3台、多い家は4台か5台持っています。

話が飛びましたが、先般大雪が降った日があったのですが、スマホを繋ぐためにコンビニまで雪の中を往復していたら、治りかけた風邪がぶり返してしまい、またまた寝込んでいました。しかしその間にも季節はしっかりと巡り、岳都松本でもチラホラと桜の開花がみられるようになりました。桜はほんとうにきれいですね、外国暮らしから戻ってみると、その美しさがしみじみと心に染み渡ります。

さて、これからどうするかということですが、現在の寓居は6月までしかいられないので、夏以降、どこで何をやって暮らすのか?現在いろいろ思案中です。特にアテはありませんが、あの“国家級貧困地区”の村で暮らした12年は、もともと生活力の逞しい私に、年齢を差し引いてもなおおつりがくるくらいの“生命力”を付加してくれたものと思います。次にお会いできるのはいったいどこでしょうか?国内か?国外か?

このブログも特に閉鎖するということはしませんので、またいつか気が向いたのぞいてみてください。ではみなさん、お元気で。再見!