家捜し

今日もまた雨が降っています。去年の記録を見てみると、ちょうど今ごろ、国慶節休暇をはさんで2週間雨が降り続き、あちこちで道路が寸断されました。おかげで農民たちの貴重な現金収入の棗が全滅(収穫期に雨にあたると、実が割れて商品にならない)したのです。そして今年も、私が瀋陽に行っていた間に4日間続けて降ったそうで、半分以上使いものにならなくなり、今またダメ押しの雨です。2年続けての壊滅状態で、ほんとうに農民たちはかわいそうです。この時期が過ぎるとまったく雨が降らなくなり、次に降るのは雪だというのに、天の神様はどうしてこうも残酷な仕打ちを繰り返すのでしょう。

ところできのうは晴天でした。そして半日がかりで、私は“家捜し”をしたのです。どういうことかというと、私が日本から帰ると、大家さんが突然「この地の習慣だから、犬は部屋の中で飼わないでほしい」といい出したのです。でも“習慣”というのはこじつけで、どうやらなつめが少し煩わしくなったようです。つまり最初の頃は大家さんも連れ合いを亡くして寂しかったので、けっこうかわいがってくれたのですが、娘が孫連れで戻ってきてから(ダンナが出稼ぎに出ている)というもの、当然のことながら孫に関心が移り、なつめのことはぜんぜんかまわなくなったのです。なつめもそこら辺は敏感な犬で、もともとあまり人になつかないのが、ますます大家さんになつかないという悪循環で、大家さんから見たら“可愛い気のない”犬になってしまっていたのです。

私がいなかった間、ほとんど繋ぎっぱなしだったようで、なつめの爪が長く延び、最初に外に連れ出したときに折れて血をにじませ、今もぺろぺろやっています。何か悪い病気でも拾わなければいいがと心配です。(早く気づいて爪を切ってやるべきでした)。前以上に大家さんの部屋にまったく寄りつかず、それにずいぶん痩せたのです。

これはもう引っ越すしかなく、きのうなつめを連れて、何軒かの候補地を廻りました。それでここにしようと決めたのが、ばあちゃんがひとりで暮らしていて、前からなつめもなついていて、部屋は崩壊寸前のボロ屋で、中で飼っても文句のつけようのないヤオトンです。それで別の所に住む息子の承諾を得てから引っ越そうと考えていたら、近くに住む大夫(=医者、いちおう村の診療所および薬屋をやっている)がやって来て、「あんな、危険だから家人も住まないような部屋に住んで、生き埋めになったらどうするんだっ?」というのです。確かに奥の方の天井が半ば崩壊して、土がボロボロ落ちてきているのですが、まぁ2,3ヶ月のことだし、入り口の方にカンがあるので、そこで寝るから大丈夫だというと、「入り口は雨が降るとバケツですくえるくらいザーザー漏ってくるんだ」というのです。

それで大夫が紹介してくれたのが、彼の家のすぐ近くにあるヤオトンで、これはまったくの1軒屋。崖をくり抜いた原始的な「土ヤオトン」で、これは冬でもものすごく暖かいのです。私がいないときは大夫がエサをやってくれるというし、ここなら誰に気遣うことなくなつめと暮らせるなと、心ひかれたのですが、なにしろ崖の途中にあるヤオトンですから、水をどうやって運ぶかという問題があります。自分では不可能で、これをいちいち村人に頼むというのも、やはり気が疲れるということで、残念ながらパスしました。

それで次に紹介してくれたのが、賀根旺夫妻が住むヤオトンで、やはりなつめを連れて行ってみました。なにしろなつめが気に入るかどうかが、最大のポイントですから。教えられたとおりに、崖に削られた細い道を降りてみると、その行き詰まりにそのヤオトンはあって、庭から白黒の赤ちゃん犬がよちよち出てきました。ここは犬を飼っているのです。聞いてみるとオス。当然イヌ好きのはずだし、部屋の中で飼ってもOK!電気工事も必要なくすぐに住めて、おまけに、庭に井戸が掘ってあるのです!部屋も広くてきれいでした。その上に、彼らは比較的若く、なんとか会話が通じました。これまでの大家さんはほとんどまったく通じなかったのです(最もこれはさほど重要なことではありません)。さっそくここに引っ越すことに決めました。新しいところに引っ越すと、またいろんな人が日本人を珍しがって寄ってくるので、ブログネタも増えるというものです。

(10月7日)
写真;最初に住もうと思ったところのばあちゃんと、今もひかれる“ひとりヤオトン”