北京南駅

私は今天津にいます。午後には生徒たちが天津港に着くので、昨日朝、瀋陽をたって北京経由で夕方到着しました。瀋陽→北京は特急で4時間、北京→天津は新幹線(在来線とは線路が違う)で30分。いずれも開通したばかりで、初めて乗りました。

瀋陽→北京は、かつて(といっても、私が知っているのだから、そんなに遠い昔ではない)夜行列車で10時間以上かかったものでした。4時間など、離石→賀家湾くらいなもの、もっとかかることだってザラにあるのです。そして私は、北京駅から北京南駅に向かいました。地下鉄がまだ開通していないので、途中で102番のトロリーバスに乗り替え、終点で降りたのですが、いくら見回してもそれらしき姿が見えません。なんだかあちこちまだ工事中というか、かつてあった建物がごっそり取り除かれて、赤膚をむき出して空き地が点在し、せわしなくバスが行きかっていました。けっきょく、新しい駅はすぐ隣にできたのだけれど、大きく迂回しないと近づけないということで、そこからまた10分ほどもバスに乗ったのです。

東洋一といわれる北京南駅は、高層ではなく平たいドーム型の空港のような建物で、どうりで建物の陰になって目につかなかったわけです。あぁやっぱり土地があるんだなぁと、“社会主義中国”の一端を、ここでもまざまざと見せつけられました。内部もほとんど空港仕様で、みやげ物屋があり、レストラン、本屋、ジューススタンドがあり、ワインバーまでありました。コンコースがそのまま待合室になっていて、テープで仕切られた特等席の待合室にはグランドピアノまであったのです。


南駅は北京にある4つの駅の中で最も小さく、ボロい建物でした。狭いロータリーには疲れ果てた農民工が三々五々たむろし、いつ行っても他の駅とはちょっと雰囲気が違う、彼らの暗い眼差しに出会ったものでした。各地から政府へ陳情するために訪れる人たちの“直訴村”が近くにあったことでも有名です。“シロウト”には近づきがたい雰囲気すら漂っていたのです。

新しい南駅は、“美しく立派”だけれど、あきらかに彼らの侵入を拒否するたたずまいを持っていました。オリンピックも終わった今、彼らが重い荷物を背負い、長い旅を終え、期待と不安と緊張のない混ざった面差しでこの駅に降り立つことは、もうなくなるのかもしれません。

(9月21日)

昔の駅のたたずまいを残した建物もまだ残っています。右端の「寄存」という文字は、荷物預かり。