2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

“エコな暮らし指導員”

去年の秋からまとまった雨は降ってないし、12月初めから共同水道は凍結して使えないままだし、村はいまどこも水に困っています。それで、村の仕事として、給水車がときどき廻ってきます。村長さんの家に鉄製のタンクがあって、それをオート三輪に乗せて、今…

“我先に”文化

(東電のずさんさ、政府の対応の遅さ、何よりすでに日々被爆しつつ作業に取り組む最先端作業員のことを考えると気が滅入ってきて、こんなことアップするのも心がとがめるのですが‥‥)ニュースの中で、「被災地で冷静に秩序を守って救援を待つ日本人」の姿が…

賀家湾小学校

ここのところ曇り空が続き、強い風が吹いて黄砂が舞い上がっていたのですが、昨日今日と、青空が広がり、強烈な日差しが戻ってきました。学校にはいま5人の児童がいますが、みな「幼儿班」といって、幼稚園生です。こちらでは、だいたい小学校が幼稚園をかね…

日本人はキャラを変えた?

ネットの繋がりがよかったせいで、普段なら間違いなく目にすることもなかったであろう一文を読みました。東浩紀という人がニューヨークタイムズに寄稿したものです。私は恥ずかしながら読書という習慣を持たない人間なので、この人がどういう人か知りません…

葬儀の小物

まったく繋がらないことがあるかわりに、たま〜〜にですが、サクサク繋がることもあって、この2、3日はとてもいい状況で、やっぱりあれこれ原発関連のニュースを漁っています。で見れば見るほど危機的状況だとわかり、東電と政府の初動の遅れが今後致命的な…

安否伝言板

今日、李家山で民宿をやっている馬ロンファから電話がかかり、今回の災害に関連してとても気になっている人がいるので連絡をとってほしいというのです。その人は「岩田あつこ」さんといって、4年ほど前からロンファの民宿にときどきやってくる人だそうです。…

哀悼 孫引喜老人

私が村を留守にしていた先月27日、ひとりの老人が亡くなりました。孫引喜という今年80歳の男性です。彼は、この村の壕で273人が窒息死させられた事件の、いわば最後の生き証人でした。 1943年旧暦12月、壕に逃げ込んだ民兵の姿を見た日本軍が、壕の入り口を…

原発崩壊!

しばらく村を空けていて、帰って来たらネットがまったく繋がらない状況が長く続き(つまりPCを使ってなかったので、まだ動きます)、ようやく繋がったところで、地震のニュースを見ました。地震のことは、村人からすでに聞いていたのですが、あまりのすさま…