老後の保障

「墓を掘る」で書いた葬儀の写真ができたので、高世選老人を訪ねました。賀家湾から歩いて1時間の「大長」という村です。私の“ぶしつけ”な好奇心を気持ちよく受け入れてくれた墓堀り4人組の写真も少し大きめに焼きました。

ひとつには、おじいちゃんがかなりまいっている感じだったので気になって、超特急で臨県の写真館まで行ってきたのです。1年前に取材したときも、心優しい、ちょっと気弱な感じの人だなという印象は持っていました。葬儀のときに会ったのが2度目でしたが、去年よりもっと弱った感じで、「典礼」といって、祭壇の横で故人の来歴を読み上げているときも、時々涙をにじませていました。

それで、今日行ってわかったことは、高夫妻には娘がひとりだけで、男の子がいないので、葬儀費用の工面がつかず、あんなに簡素な葬儀だったということです。私がてっきり息子だと思っていた男性たちは、同居していた甥と、娘の夫だったのです。彼らはふたりとも農民なので、お金はありません。葬儀の主役ともなるべき「内孫」や「内ひ孫」もいないわけです。

先回の賀老人の葬儀が立派だったのは、息子や孫たちがみな離石などの町に出て、会社勤めや商売をしているので、現金があったのです。娘たちの嫁ぎ先も農民ではなく、町の人のようでした。賀老人には3人の息子と2人の娘がいます。

つまり葬儀費用に限らず、農民が歳をとり、子供たちも成人してお金を稼ぐようになると、月々いくらかづつ親の生活費を出し合うというのがこの地の“老後保障”のあり方なのです。農民には国家による老後の保障はありません。保険制度も最近でこそ都市部ではぼちぼち整ってきているようですが、もちろんこの地の農民にそんな掛け金を払う余裕などありません。今も“一人っ子政策”が農村部ではなかなか受け入れられない最大の理由は、おそらくはこれだと思います。

つまり日ごろから超ビンボー暮らしの高じいちゃんですが、私が写真を50枚ほど手渡すと「こんなにお金を使って‥‥」と、ほんとうにすまなそうな顔をするのです。じいちゃんの大きな葬儀用写真に額縁も含めて1000円にも満たない金額です。ふと目をやると、去年私があげた数枚の写真が、ビニール袋で覆った上で壁に貼ってありました。他には1枚もなかったので、やはりあれは、おばあちゃんのたった1枚の写真だったようです。

彼はこの界隈の老人の中では“珍しく”読み書きが完全にできる人で、カンの上には『家庭の医学』みたいな大冊の上下巻本が広げてありました。耳がすでに遠いのですが、筆談ができるので、私ひとりでもなんとか会話が成立します。もっとも彼のいっていることはわからないので、ICコーダーに録音するのですが、私が質問することができるということです。

今日はじいちゃんも疲れているし、改めて出直して話を聞くことにしました。去年取材したときに、彼は村役場の指示で、アヘン栽培の見張りをしていたことがあると、興味深い話をしていたからです。私が来て、あれこれ昔のことを聞かれるのはイヤではないみたいで、むしろ気がまぎれていいのかもしれません。300人近い人たちと出会っていると、人間やっぱり“好き嫌い”はあるもので(嫌いな人というのは、ひとりもいません)、このじいちゃんは、私が大好きなうちのひとりなのです。

写真;上、故人の連れ合いは喪服を着ません。「孝衣」という名が示すとおり、故人の后代が着ます。中、亡くなったおばあちゃんの棺と写真。下、風水師のおっちゃん。すでに顔見知りなので、あそこ撮れ、ここ撮れと、いろいろポイントを教えてくれます。(相変わらず“暗い”写真ばかりですみません)。

(12月7日)