特急で戻りました。

きのう賀家湾に戻りました。今回は体調が悪かったのと、15日には瀋陽に飛ばなければならないこともあって、北京→太原を初めて飛行機に乗りました。いやぁ速いですね。1時間かからないです。でもオイルチャージがついて、720元は高かった。

それで太原には泊まらず、離石まで直行しました。朝9時半に乗って、夕方7時半には着いたので、ちょうど10時間ということです。しかし、例によって問題はここからで、離石→賀家湾までは5時間ほどかかりました。大阪→離石はたぶん4000キロくらいなので、時速400キロ。離石→賀家湾は40キロほどなので、時速8キロ。「あぁ黄土高原に戻ってきたなぁ」としみじみ思いました。

その前のことですが、離石の銀行でまずはお金をおろそうとギラギラの陽光の中を、歩いて中国銀行に行きました。ところが全館大工事中で、移転先の貼紙も何もありません。中で工事をしている人に聞くと、自分もこれからタクシーで行くところだからということで、着いていくことにしました。そしてようやく停まったタクシーの前の扉を彼が開け、私が後ろの扉から片足と重い荷物を背負った上半身を半分くらい入れたところでタクシーがガーッ!と走り出し、私は思わずギャーッ!と叫んでしまい、5,6mひきづられたところでタクシーはググッ!と止まりました。

「なんだ、ひとりだと思ったんだよ、ごめんごめん」。幸い路面に障害物もなく、後続車もなかったのでかすり傷で済みましたが、運が悪ければいったいどうなっていたことか。もう日本のタクシーではとうてい考えられない手荒さです。「あぁ中国に戻ってきたなぁ」と、しみじみどころか、冷や汗たらたら思ったことでした。

黄土高原から日本に帰ると、私の場合、その生活環境に慣れるのにものすごく時間がかかり、今回などはついになじめきれなかったという感があるのですが、反対に日本からこちらに戻るときは実に簡単に、有無を言わせず一気に現実に引き戻されます。日本では“生活する”ということが守られすぎているのかもしれません(もちろんこれには異論があるでしょうが)。青信号で必ず車が停まるわけでもなく、右見て左見て、また右見て、後ろも見て‥‥道路渡るだけで、いったい何度安全を確認しなければならないことでしょう。自分の身は自分で守るしかないのです。

それでも2日目には家に戻って、さっそくなつめと散歩に出かけました。去年は収穫期の長雨で全滅だったなつめが、そろそろ色づきはじめて、収穫まであと1ヶ月というところでしょうか?今年は雨が降らないことを祈るばかりです(雨にあたると実が割れて商品にならない)。とうもろこしや粟、じゃがいも、さつまいももまだまだ早いようです。油を採る麻だけが収穫期を迎えているようで、ウチの庭にもいっぱい拡げてありました。これは1キロが100円弱で売れるそうで、重要な商品作物です。

私は仕事(ウチの高校の修学旅行)であさってには瀋陽に飛んでしまいますが、再び村に戻ってくる頃にはすべての作物が収穫期を迎え、村が一年で最も活気づく季節になります。20日間ほど家を空けますが、帰ってきたらまた「なつめが実る村から」レポートをお届けするつもりです。

(9月12日)
写真:賀家湾は比較的人口が多いので、隅々まで段々畑が耕され、主食の粟を中心に、自分たちが食べる分はほぼ自給します。商品作物は、棗、麻、とうもろこし(飼料用)、綿くらいでしょうか。
写真の向こう側の中央右上に見える集落が、去年住んでいた樊家山。写真を撮っていたら突然女性たちの哭き声が聞こえてきて、誰かが死んだことがわかります。「村に帰ってきたなぁ」と思いました。
ひまわりの種は、こちらでは最もポピュラーなおやつです。