2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧
街はなんだかいつもより静かなのです。北京一の繁華街「王府井」に行っても、普段のウィークデイくらいの人出で、“外国人”の姿も、普段と変わりませんでした。看板のデカさだけがやたらと目につきました。王府井で見た女の子。清朝の飾り物です。中国の少女…
昨夜10時半に無事北京に到着し、北京駅前のYHに落ち着きました。前もってあれこれ予約を入れておいたおかげで、今回はけっきょく、予想したよりスムーズな旅でした。そもそも他人のウワサとはあてにならないもので、地下鉄は全線走っていましたし、これまで…
きのう朝6時に賀家湾を出て、今は太原です。今回はいつもにも増して何事が起こるか予測できない状況なので、早めに行動しました。太原→北京も、普段は頻発しているバスを利用しますが、不確定要素の少ない列車にし、切符も旅行社を通して予約しました。さき…
どうやら先週、開化へ行った頃が“不運のどん底”だったのかも知れません。膝の方は自分でも意外なほどの回復力で、3日目には平地ならなんとか歩けるようになりました。最も、その後もほとんど毎日外出しているので、3日後からの状況は今も変わらず、やっぱり…
今日はこの家の賀ジン喜がなくなってから100日目の法要(「一百天」といいます)があり、朝から親戚の人たちが5,6人やって来ています。法要といっても、日本のように僧侶が来るとか、読経があるとかいうのはありません。みんなで簡単な昼ご飯を食べて、それ…
不運の連鎖はまだまだ途切れることなく続いているのです。こうなるといったいどこまで行くのか?行き着く先には何かが見えるのか?とことんつきあうしか仕方ないでしょう。予定していた取材がダメになった開化へ行ってきました。世話になった張先生や賀老人…
この1週間はほんとうにつらい1週間でした(一部継続中)。まず、暑いのです、とにかく。連日の40度を超える猛暑に、さしもの洞窟建築も部屋中が温まってしまい、前に書いたほど快適ではなくなりました。カーテンを閉め切っておいても熱気がじわじわと進入し…
我々の村で起こった事件は、1943年の秋だったと思うが、天気は徐々に寒さに向かっていく頃で、畑仕事も基本的には終わっていた。最初日本人は直接この村にやってきたのではなく、先に焉口という村などに行ってからここにやってきた。村人たちがちょうど朝飯…
坪頭を最初に訪れたのは、一昨年の12月でした。“日本軍による虐殺事件が起こった村“へは、どうしても足が運び難いのですが、このときも取材は予定せずに“こっそり”下見に出かけました。いえ、そのつもりでした。ところが乗ったバスの車掌が、以前磧口にいた…
先週26日から3泊4日で、「坪頭(ピントウ)」という村に行って来ました。去年撮った写真をまだ渡してない人がいたからです。坪頭は臨県ではなく、隣の離石区に属しますが、距離的には50kmくらい、やはりいったん離石まで出て乗り換え、都合7時間ほどかかりま…