2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

端午節

村を歩いていたら、子牛が生まれていたのを発見。そういえば、この家では毎年子牛の姿を見ています。子牛は高く売れるので、なるほど。こうやって、いわば農閑期でも働いてもらっているわけだし、合理的ですよね。 昨日の写真はまた別の家の牛で、使っている…

使ってこそ農具

写真を整理していたら、犂を使っているところの写真が出てきたので、ご紹介します。やはり、道具というものは、使ってこそ命。博物館に鎮座ましますのは、単なる“モノ”に過ぎませんよね。 まず犂で耕して、その後に、耙(バー)を使って土をならします。これ…

早飯(ザオファン)

時間が前後しますが、朝ごはんの方もご紹介しておきます。「早飯」というのは、当日の9時から10時頃に食べます。村人にふるまわれるのは、この早飯と中午飯の2回だけです。出るものはいつも決まっていて、「湯菜」とよばれる汁物と、「油ガオ」とよばれるキ…

中午飯(ジョンウーファン)

「煮鶏蛋」香辛料がたっぷり入ったスープの中で煮るので、しっかり味つき。 ハム(自家製)とキュウリの炒め物。 ジャガイモで作った「粉条」とキュウリ、ハムの和え物。 豚肉。 豚肉と野菜ときくらげの炒め煮。 春雨とキュウリの和え物。 豆腐とピーマンと…

これだけ撮るのにけっこう苦労してます。

この地域は、もともと農耕の形態が単純だったということでしょうか、農機具というものがそもそもとても少ないようです。中国の南の方へ行けば、きっともっと多様な農具があるのではないかと思います。ネットで調べてみても、山西省の伝統農具というのは、ほ…

コメントありがとうございます。

いまは離石のホテルで繋いでいます。なつめがいなくなった分自由がきくようになって、最近はたびたびここを訪れては、私としては“贅沢な”ひとときを過ごしています。7天連鎖酒店といって、いわゆるビジネス系のチェーンホテルですが、ここ5年くらいの間に、…

一路走好

「十里(5キロ)離れれば風俗が違う」といわれているこの地で、賀家湾と孫家溝は40キロほど離れています。もちろん大筋は同じですが、細かいところで随分違いがあって私も驚きました。招賢界隈と三交界隈との葬儀の進行の違いを中心にご紹介します。祭壇その…

薄味の弔辞

今回、ほんとうは三交から郝峪塔(ハオイーター)という村に行くつもりでした。DVDは樊ばあちゃんに預けておけばいいと思って持参したのです。ところが雨になりそうな天気になってしまったので、荷物を全部持って移動しなければならない郝峪塔は次回にゆずっ…

孫家溝村

臨県の写真館にデータを置きに行って(遺影写真は1日ではできない)、その夜は三交(サンジャオ)の樊ばあちゃんの家に泊まりました。臨県から三交まではバスで30分、かつて日本軍の駐屯地があった町です。三交に日本軍がいて、北にある臨県に八路軍の拠点が…

経験と知恵

カンの上の天井が崩れてそろそろ半年近くになるというのに、「ああ、オレがそのうち直してやるから」と口先だけでいうおっさん連中はどこの世界にもいますね。実は最近、奥の方でもう一か所小さな崩落が認められたので、ついに私は業を煮やして、いくらかか…

豊かさのバロメーター?

昨日午後、招賢に着いたときには小雨がぱらぱらしていました。それでも傘なしでもギリギリなんとかという程度だったので、私はビニール袋を頭に被って、坂道を登り始めました。途中で休憩しようと荷物を道端にドン!と置くと、キャン!という声が返ってきた…

磧口(チーコウ)は、古来より“黄河の渡し”として栄えていた村です。清末の頃に最盛期を向かえ、“山西の小北京”といわれて、随分豊かな地域だったようです。それが、鉄道網の発達と共にすたれ、すっかり忘れ去られていたのが、10数年前に、山西省第一番目の旅遊扶養地区に指定され、つまり、観光で村おこしをしなさいということで、行政の援助のもと、現在はけっこう賑やかな観光地となっています。そもそも私が臨県で最初にたどり着いた村です。

旅する鏡頭(ジントウ)

昨日昼頃、磧口に到着したとたん、劉順とばったり出会いました。劉順は、磧口一ボロい旅館を経営していて、私は以前そこにしばらく住んでいたことがあります(当時は1泊10元)。旅館と同時に写真屋もやっていて、それは証明用写真程度のものしか扱っていない…