墓を掘る

「墓を掘る」というと、日本ならもうどうしようもなく暗〜いおどろおどろしい哀しいイメージしか沸かないと思うのですが(最も今は火葬で、墓は掘らないですが)、こちらでは墓掘りも確かに重労働だけど、暗いイメージはまったくありませんでした。それどころか、みんな途中でサボって酒飲んだり、将棋したりしているので、予定通りの時間には終わらず、すっかり日が暮れて、一番肝心な写真が撮れませんでした。

19日に亡くなったのは私が1年ほど前に取材したおばあちゃんで、きのう29日が葬儀、今日が埋葬でした。おじいちゃんは元遊撃隊兵士で、今でも当時のことをはっきり覚えている人です。それでもう少し聞きたいことがあって26日に訪ねたのですが、門口に歳紙がかかっていました。遠慮しようかと迷っていると、よく来てくれたとおじいちゃんに迎え入れられたのです。

この家はお金がないみたいで、先の賀老人のものとは、まったく比べ物にならない簡素な葬儀でした。遺影には私が撮った写真が使われていましたが、それは横向きのスナップ写真で、葬儀に使えるようなものではありませんでしたが、もしかしたら彼女のたった1枚の写真だったのかもしれません。

墓堀りは、葬儀の進行と同時に行われるわけですが、今回は儀式が簡略化されていて写真を撮るところもあまりなかったので、むしろ墓堀りの様子をつぶさに観察する機会にめぐまれました。家と墓地がとても近かったこともあります。それで今日は、墓堀りの過程を簡単にご紹介します。

今回はオクさんの方が先に亡くなったので、臨時の埋葬ですが、造り方は一緒だそうで、ただ、少し小さめの穴になります。正式な墓は、あくまで「合葬」なので、倍くらいの広さになるということです。

午前8時30分;墓堀り人は4人。すべて村の人です。もちろん報酬はなしで、タバコを2箱もらっただけのようでした。「お互い様のことだから」、ということだそうです。それから、他人の畑に墓を造る件ですが、事前にひとこと声をかければいいだけで、金品を渡すということはこの村(賀家湾から歩いて1時間の大長村)ではないそうです。

午前9時;まずは爆竹を鳴らしてからすべてが始まります。

午前9時10分;墓堀りの開始。一番後方にいるのが風水師で、風水盤を見て掘る位置を決めます。

午前10時10分;1時間でこんな感じです。正式な墓より、幅が狭くなっています。棺がひとつ入るだけの大きさでしょう。

墓堀り人は左側の4人。

午後12時45分。墓室の入り口があきました。ここから横穴を掘っていくわけで、これからがたいへんです。

午後4時。墓室は人が入れる広さになっていましたが、まだまだです。

午後5時30分。墓室の奥行きは2メートル、棺の大きさがあるので、きちんと正確にメジャーで計って掘り進めます。この段階でほぼ完成しているのですが、あとは、墓室の壁や天井をへらで削ってきれいに整えなくてはなりません。で、それが終わると当然すでに日が暮れているわけで、それではどうしようもないので、この段階で中に入れてもらいました。実は、直前にいかにもうるさ型といった感じのおばあちゃんに、「墓の中に入るのはダメよ」といわれていたのですが、彼らにいうと「関係ない、関係ない」らしく、「じゃあ遠慮なく」、と千載一遇のチャンスを逃しませんでした。底面までは人間の背丈以上あるので、階段状に足場が作ってありますが、出るときは誰かに引き上げてもらわないと出られません。

墓室の中はちょうど棺が入る大きさで、高さは人間が座って頭がつかえる程度でした。懐中電灯で照らしてみると、天井はカーブしていて、ちょうどヤオトンの造りとまったく同じなのです。しかもきれいに丁寧に削られていて(途中でしたが)、いかにも生きてる人間と同じような生活空間が死者のために用意され、生きている人の死者への優しさ、思いやりがしみじみ伝わってくるような空間です。作業しているふたりのおっちゃんと3人で、「とてもきれいな部屋だね。こんな部屋なら今晩一晩泊まってもいいよ」「生きてる日本人が入ったのはきっと初めてだよ」などと冗談をいいあいながら、しばし黄土高原の“死後の世界”を想像してみました。黄土というのはとても暖かくしっとりとしていて、人肌に最も近い鉱物かなと思ったりもしました。(光量が足りなくてどうしてもシャッターが押せず、写真は撮れませんでした)。

これは翌日、すでに棺が納められたところ。

墓室の入り口を粟やトウモロコシの殻でふさぎ、土を戻します。おじいちゃんが亡くなると掘り起こされ、別の位置に墓が造られ、合葬されて、すべてが終わります。

(11月30日)