2014-01-01から1年間の記事一覧

朝市

中山広場から10分、天津街の朝市。さすが大連、海産物が豊富です。 大連には、こんなトロリー電車が走っています。なつかしいっ〜! こういうのを見るともうすぐに悲しくなってしまいます。せめて命あるうちに1枚。宗教的理由からではなく、私は肉を食べませ…

中山広場と大連港

当分の間、写真とキャプションのみ。使用しているポケカメもそろそろ寿命で、あまり写りがよくないのですが、ご了承を。 かなりの逆光ですが、昨夜泊まった旧ヤマトホテル。現大連賓館。 大連賓館屋上から見た、大広場。正面が、旧横浜正金銀行。 屋上からテ…

男はつらいよ

私がいま住んでいる家の、その前に住んでいた(つまりポポが巣をかけていたとこ)家の息子の小東(シャオドン)が訂婚するらしいという話を、今の家の大家のばあちゃんが持ってきたので、さっそくそのイージャオ(小東のお父さん)のところに聞きに行きまし…

午後8時にお帰り!

立秋を過ぎても、まだまだ日が長くて、これは午後8時にウチの庭から西の山を撮った写真です。右側にあるのが文化広場。太陽熱街路灯は、もちろん自動的に点きます。で、私の部屋も電気が点いていますが、天井のあたりは暗くて何も見えません。ところが、よく…

新しいお客さん。

ゆうべ夜中の11時過ぎに、窓の外でガサゴソッ!とかなり大きな音がしたので、懐中電灯で照らしてみたら、こんなお客さんが窓枠の一番上の電気の引き込みコードの上に留まっていました。しばらく前からフンが落ちていたので、何か小鳥がやってきているなとは…

蝉が鳴いた。

ずーーっと雨や曇り空が続いていたのですが、3日ほど前からようやく晴れました。といっても藍天が戻ったというほどではありません。今日は、先回とは別の方角の畑に行ってみました。まず感じるのは、路に雑草が生い茂り、歩くのにも難儀するほどだったという…

ドン!

しばらく米を切らしたままだったので、離石まで行ってきました。村にもオート三輪でしょっちゅう売りに来るのですが、如何せん、マズいのです。炊き立てはともかく、冷えたらもうボソボソ、せめて米くらいは贅沢をしようと、いつも離石まで買いに行きます。5…

パレスチナに連帯するなつめ

中元節

きのうは農暦の七月十五日で、中国では「中元節」といって、墓参りの日です。(日本でお中元というのは、ここから来ているのかも)。畑の作物が稔ったことを先祖に感謝する日で、地方によってはいろんな伝統行事があるようですが、ここでは単に墓参りの日で…

頑張れ! KOMATSU

先々回にアップした道路の亀裂は、舗装部分を全部ひっぱがして、修理することになりました。招賢から賀家湾を通って、たくさんの村々と結ぶ幹線村道なのでこの道は早く通してもらわないと物流が途絶えます。村でも年々オート三輪やミニバンでモノを売りに来…

3点セット

しばらくネットが繋がらず、やっと繋がり出したら今度はパソがまったく起動してくれず、どうなることやらと焦りましたが、ようやくなんとか。。。1週間ぶりにニュースを見たのですが、日本もあちこちで大雨が降っているようですね。実はこちらでも去年、今年…

堵車(duche)

きのう離石へ行ってきました。なんとしてでもシャワーが浴びたかったのと、コーヒーに入れる粉末のクリームを買うのが主目的です。離石へは日帰りできます。いつも泊まる七天連鎖酒店は、4時間で60元という時間貸しがあって、これはこちらではどこのホテルで…

訂婚(dinghun)

4日前、私が賀家湾で最初にお世話になったヤオトンの前を通ると、何やらガヤガヤしています。のぞいてみると、この家の息子の志強が明日「訂婚」(=婚約)するというのです。どうりでしばらく前から、私が以前住んでいたボロボロの部屋をすっかり改装し、離…

胃酸過多

かれこれ10年ほども前から、私は胃の調子があまりよくなく、食後に胸がもたれることはしょっちゅうで、胃薬が手放せませんでした。それでも、まあ、しばらく時間が経てば回復していたので、「要するに、私は胃が弱いんだ」という自己診断でずーっときていた…

おすすめのエティハッド航空

本日夕方、無事村に戻りました。実をいうと、今回はこれまでで最短の時間で戻ったことになります。どういうことかというと;アラブ首長国連邦アブダビから名古屋に飛んでいる、「エティハッド航空」というフライトがあります。これがものすごく安くて、中国…

黄色い大地の博物誌

ご無沙汰しています。 とにかくもう何をかいわんや!ほんと〜〜〜に、疲れました。 私は今まだ松本でお仕事中ですが、明日のフライトで中国に戻ります。以下は、苦心惨憺、涙ながらのHPですが、まだ“建設中”です。 とにかく、動画ファイルがぜんぜんアップ…

岳都松本にてお仕事中。

今は松本です。信州も梅雨空が続いていましたが、今日は久しぶりに晴れました。私は日本に帰った時は、だいたい自分の職場である、通信制高校の校舎で暮らしています。自分の仮の宿には、風呂はもちろん、ガスもなくて食事を作るのが難儀だからです。学校で…

母は強し!

一昨日の犂を曳いているのはこの牛です。この家はまだまだ若い夫婦なので、比較的手広く農業をやっています。この牛は買ったときはずっと若かったので、5000元ほど。今売れば10000元だそうです。 追記;あらためて写真を見てみると、1枚目の犂を曳いているの…

端午節

村を歩いていたら、子牛が生まれていたのを発見。そういえば、この家では毎年子牛の姿を見ています。子牛は高く売れるので、なるほど。こうやって、いわば農閑期でも働いてもらっているわけだし、合理的ですよね。 昨日の写真はまた別の家の牛で、使っている…

使ってこそ農具

写真を整理していたら、犂を使っているところの写真が出てきたので、ご紹介します。やはり、道具というものは、使ってこそ命。博物館に鎮座ましますのは、単なる“モノ”に過ぎませんよね。 まず犂で耕して、その後に、耙(バー)を使って土をならします。これ…

早飯(ザオファン)

時間が前後しますが、朝ごはんの方もご紹介しておきます。「早飯」というのは、当日の9時から10時頃に食べます。村人にふるまわれるのは、この早飯と中午飯の2回だけです。出るものはいつも決まっていて、「湯菜」とよばれる汁物と、「油ガオ」とよばれるキ…

中午飯(ジョンウーファン)

「煮鶏蛋」香辛料がたっぷり入ったスープの中で煮るので、しっかり味つき。 ハム(自家製)とキュウリの炒め物。 ジャガイモで作った「粉条」とキュウリ、ハムの和え物。 豚肉。 豚肉と野菜ときくらげの炒め煮。 春雨とキュウリの和え物。 豆腐とピーマンと…

これだけ撮るのにけっこう苦労してます。

この地域は、もともと農耕の形態が単純だったということでしょうか、農機具というものがそもそもとても少ないようです。中国の南の方へ行けば、きっともっと多様な農具があるのではないかと思います。ネットで調べてみても、山西省の伝統農具というのは、ほ…

コメントありがとうございます。

いまは離石のホテルで繋いでいます。なつめがいなくなった分自由がきくようになって、最近はたびたびここを訪れては、私としては“贅沢な”ひとときを過ごしています。7天連鎖酒店といって、いわゆるビジネス系のチェーンホテルですが、ここ5年くらいの間に、…

一路走好

「十里(5キロ)離れれば風俗が違う」といわれているこの地で、賀家湾と孫家溝は40キロほど離れています。もちろん大筋は同じですが、細かいところで随分違いがあって私も驚きました。招賢界隈と三交界隈との葬儀の進行の違いを中心にご紹介します。祭壇その…

薄味の弔辞

今回、ほんとうは三交から郝峪塔(ハオイーター)という村に行くつもりでした。DVDは樊ばあちゃんに預けておけばいいと思って持参したのです。ところが雨になりそうな天気になってしまったので、荷物を全部持って移動しなければならない郝峪塔は次回にゆずっ…

孫家溝村

臨県の写真館にデータを置きに行って(遺影写真は1日ではできない)、その夜は三交(サンジャオ)の樊ばあちゃんの家に泊まりました。臨県から三交まではバスで30分、かつて日本軍の駐屯地があった町です。三交に日本軍がいて、北にある臨県に八路軍の拠点が…

経験と知恵

カンの上の天井が崩れてそろそろ半年近くになるというのに、「ああ、オレがそのうち直してやるから」と口先だけでいうおっさん連中はどこの世界にもいますね。実は最近、奥の方でもう一か所小さな崩落が認められたので、ついに私は業を煮やして、いくらかか…

豊かさのバロメーター?

昨日午後、招賢に着いたときには小雨がぱらぱらしていました。それでも傘なしでもギリギリなんとかという程度だったので、私はビニール袋を頭に被って、坂道を登り始めました。途中で休憩しようと荷物を道端にドン!と置くと、キャン!という声が返ってきた…

磧口(チーコウ)は、古来より“黄河の渡し”として栄えていた村です。清末の頃に最盛期を向かえ、“山西の小北京”といわれて、随分豊かな地域だったようです。それが、鉄道網の発達と共にすたれ、すっかり忘れ去られていたのが、10数年前に、山西省第一番目の旅遊扶養地区に指定され、つまり、観光で村おこしをしなさいということで、行政の援助のもと、現在はけっこう賑やかな観光地となっています。そもそも私が臨県で最初にたどり着いた村です。