中午飯(ジョンウーファン)


「煮鶏蛋」香辛料がたっぷり入ったスープの中で煮るので、しっかり味つき。

ハム(自家製)とキュウリの炒め物。

ジャガイモで作った「粉条」とキュウリ、ハムの和え物。

豚肉。

豚肉と野菜ときくらげの炒め煮。

春雨とキュウリの和え物。

豆腐とピーマンとトマトの煮物。

「五香花生」香辛料のスープで落花生を煮たもの。

ナスに小麦粉をまぶして、甘い醤油で煮たもの。

ピーマンと豚肉の炒め物。

「鶏腿」

フルーツのスープ。

豚肉、きくらげ、ニンニクの炒め物。

豚肉。

玉子スープ。

以上が、孫家溝の葬儀の時の「中午飯」(撮影条件が悪いのでとても色が汚くて、まずそうですが)です。これにマントウが出ます。ほとんどが肉および油もの。日本の精進料理とは天と地ほどの違いがあります。肉は何キロといって買うのではなく、前々日くらいに、まるまる1頭殺します。

中午飯というのは、葬儀の日のだいたい2時頃から4時頃までの間に、参列者にふるまわれます。参列者といっても、こちらでは日本のようにすべての人が焼香するわけではなく、時間が近づくと、祭壇とは離れたところから、なんとなく村人たちがぞろぞろと集まって来ます。始まるときには派手に爆竹が鳴らされます。故人および家族の関係者と、村人ということですが、これもやはりおのずと棲み分けがあるようで、誰もが来るわけではありません。この日で300人くらいだったようです。

この中午飯のときには、楽隊が出て、(主に)女性の歌い手が晋劇の中のさわりを唄います。中午飯は儀礼なので、儀礼が行われるときには、必ず「楽」が伴うのが決まりなのです。

とうぜんのことながら「礼銭」という香典を持ってきますが、礼銭帳をのぞいてみたら、親族で500元ほど、村人は(夫婦、家族で)50元とか100元くらいでした。6人の子どもたちは数千元単位で出していると思います。私はいらないといわれましたが、100元出して来ました。

このメニューがおそらくはこの地域の平均的なものだと思うのですが、やはり賀家湾界隈の方が派手、というか豪華なものが出るようです。ここでは、全部で15品目+マントウでしたが、賀家湾の方だと、だいたい「八碗八皿」といって、16品目+スープ+マントウが出ます。肉も豚と羊が出て、必ず魚も出るのですが、孫家溝にはありませんでした。

普段の村人の食事というのは、ほんとうに簡素なもので、丼のうどんか米に、炒めたおかずをドバッとかけて終わり。あるいは、野菜を入れた粟粥がセットで、皿に盛ったおかずが出ることはまずありません。肉を食べることもほとんどありません。春節の料理といっても、各家庭で作るものだからこれほど多彩ではなく、とにかく、葬儀と婚礼のときの料理が、何段階も飛び抜けて豪華絢爛なのです。

もちろんもっとささやかなテーブルの場合もありますが、どんなにビンボーでも、葬儀のお金は惜しまないというか、以前からそのために貯蓄しているのでしょう、食べ物もお酒もタバコもふんだんに出され、なおかつ大量に残り、廃棄あるいは、犬のためにお持ち帰りです。

誰が作るのかということですが、最近では何人かの専門職を呼んで、村人が手伝うという形が多いように思っていましたが、孫家溝では、すべてが村人の勤労奉仕だったようです。お互い様のことだから、報酬はありません。薬局の老板もこの仕事のために帰ってきたそうで、見ているとプロかと思わせるような見事な包丁使いでした。ここはかなり不便なところ(といっても、バス道まで下りで徒歩40分ほど)にある村なので、逆に共同体の組織が残っているように感じました。

去年、近くの村で、私が取材したことがある老人の葬儀が行われたのですが、息子は招賢鎮一の金持ち(もちろん炭鉱)だそうで、それはそれはものすごい葬儀でした。テーブルの上にはエビ、カニや殻つきのほたてなど、この地の人では生涯お目にかかれないような山海の美味珍味の皿が、崩れ落ちそうなほどてんこ盛り(こちらでは料理が残っていても、その上に皿を重ねてゆきます。何でも溢れるほど豪華に見えるのがいいのです)で、プロの料理人が数十人呼ばれ、楽隊も5隊、酒もフツーは村人が口にすることはない高級酒で、タバコも1箱30元くらいするものが使われていました。(ここでビデオ撮影をしたかったのですが、偶然臨県の公安とばったり出くわしてしまい、追い払われてしまいました。人が多く集まるところには、必ず公安がやってきます。しかし、故人の生前の動画など持っているのは、間違いなく私ひとりだから、それをエサに3周年をねらいます。)

もちろん見栄と面子が至上の栄誉と考える中国人のことですから、金は惜しめないというのはあるでしょうが、それ以上に、そもそも「葬儀」というものの位置づけが、例えば私たち日本人とは違う、というのが、この間何度も何度も葬儀を見てきた私の結論です。どう違うか、というのはここでいま簡単に述べられるほど簡単ではないのですが、やはり儒教の伝統がかたくなに守られており、(親のために)立派な葬儀を行うのは、自らのためであり、わが子わが子孫のためでもあるのです。

喪服ひとつとっても、ものすごく細かい決まりがあって、これを調べるだけでもいろんなことが垣間見えてきます。日本では、誰が着るかなど特に決まりはなく(以前はあったのでしょうが)、ほんの顔見知り程度の関係、あるいは会社関係など、一度も会ったことがない人の葬儀でさえ、参列者は喪服あるいは、それに準ずる服装ででかけます。そもそも喪服と礼服の区別はほとんどないのではないでしょうか。逆にいえば、喪服にそれほど重要な意味づけはない、といえると思います。

こちらでは喪服のことは「孝衣」といって、儒教における「孝」の対象者のみが着るのです。つまり、「孝」は、子が親に対してつくさなければならない観念であって、その反対ではないので、故人にもし親が生きていたとしても、親は着ません。兄弟も連れあいも着ません。着るのは、息子とその連れ合い、娘(連れ合いは着ない)、孫、ひ孫、男性方の甥姪だけです。どころか、親、連れ合い、兄弟は、葬儀の席にはほとんど顔を出さないのです。村人にお披露目するような儀式の主役は孫、あるいはひ孫がすでに5、6歳くらいになっていればひ孫(男の子)になります。つまり縦の繋がりが、最重要視されるのです。

今回の写真でも、いろいろな服装があることにお気づきかと思いますが、故人が女性の場合、女性の男兄弟は白いたすきをかけます。結婚1年以内(現実的には孫世代)は孝衣の上に紅いたすき(男が嫁を娶った場合。嫁に出た女はしない−孫の場合)ですが、もし(その家の男性が)婚約中の場合は、相手方の女性は紅と緑のたすきもかけます。故人の内ひ孫は紅い帽子、外ひ孫は緑の帽子を被ります。とにかくものすごく複雑で、もしかしたらこの中に間違いがあるかもしれません。その他にも、腰に白い布を巻く人、腰に麻の縄を巻く人、それから、白い布切れをピンで留める人もいますが、私にはこの白い布がまわって来ました。

などなど、キリがありませんが、とにかく私は少しでも儒教の勉強をしないと、当地の様々な風習と村人の意識構造は計り知れないと、この地に7年以上もいて今さらながら思う(遅すぎる!)今日この頃でした。