ドン!

しばらく米を切らしたままだったので、離石まで行ってきました。村にもオート三輪でしょっちゅう売りに来るのですが、如何せん、マズいのです。炊き立てはともかく、冷えたらもうボソボソ、せめて米くらいは贅沢をしようと、いつも離石まで買いに行きます。5キロあるので、当然帰りはたいへんですが、それでも米好きの私は頑張ります。

なつめがいた間は、だいたい日帰りでしたが、最近はお泊まりします。米と並んで私の贅沢です。いつも7天酒店で、1泊が1800円くらい。ここは、世紀広場という、離石で一番賑やかなところにあるので、ご飯を食べに夜、外に出たりします。最初に来た頃と比べると、格段に人出が多くなっていて、毎晩がお祭りかと思うくらいです。


広場中央の噴水。左側の電光掲示板では、相変わらず飽きもせずに“抗日モノ”の写真がだらだらと。みんな見てる感じもなかったけれど。

いつ行ってもこうやって踊ってます。健康のためなんです。ま、阿波踊りみたいなもんですかね。

ポメラニアンです。“ペット文化”の波は、太原から離石までやって来ているようです。

こんなラジコンカーで遊んでいるお子様もチラホラ。昼間は日差しが強いので、夜になってから子どもを外に連れ出すのですが、都会では、こんな小さな頃から“夜型”の人間になってしまうと思います。遊びの時間も、都会と田舎では違います。

アメリカ資本だと思うのですが、日本にもありますか?他にもケンタが2軒と、中国資本のものが3軒ほどあって、どこもはやってます。例のチキン騒動に関しては、貼紙もなにもなかったですね。

化粧品店も増えました。この「半辺天」というのは、毛沢東が「女性は天の半分である」とかなんとかいったところからとったもの。資生堂の商品も時々みます。

韓国製アクセサリーショップ。衣料品店もあります。ただ、私が待ち望んでいる、朝鮮料理の店はいまだ一軒もありません。早く来い!

以前はタンフールーという、串に刺したサンザシに飴をまぶした伝統菓子を売っていた店もこんな風に変わりました。「フランス式最高級ミルクパイ」といったところでしょうか。

便利店(コンビニ)は増えました。概して、私が来た頃と比べて、街並みがずっと“西欧化”というか、日本の街並みに似てきて、昔ながらの小汚い、怪しげな中国風の店舗が駆逐されていっています。個人的には残念です。

唯一頑張っているのが、「成都小吃」といって、四川人がやっている食堂です。これは全国にありますが、安くて、速くて、辛くて、個食向きのメニューも揃えているところです。私もときどき利用します。お客さんはやっぱり四川人(炭鉱出稼ぎ労働者)が多くて、昼夜を問わず酒瓶の山ができて、すぐに盛り上がります。小吃というのは、軽食という意味で、チャーハンとかラーメンとか、「蓋飯」という丼モノも多いのですが、もちろん“フルコース”も。



なつかしいものを見ました。私が小学生の頃には、リヤカーを曳いたおじさんがやって来て、米と砂糖を持って行って(この写真はポップコーン)、作ってもらったんですよね。ウチの方では「ドン」といっていたと記憶しています。最後にドンッ!とものすごく大きな爆発音がするので、子ども達はみんなリヤカーから何メートルも離れて、耳を両手で塞ぎ、でも目はしっかり見開いて、どきどきわくわくしながら今か今かと待ったものです。空だったカゴにワッとふくらんだ白い米がざくざく出てきて、別の小さな鍋で砂糖を煮詰めて、米にまぶしてできあがり。子ども心にはその原理がわからず、魔法みたいなお菓子でした。こういったおやつの形って、もうなくなりましたね。