“忽然として”

きのう朝6時に賀家湾を出て、今は太原です。今回はいつもにも増して何事が起こるか予測できない状況なので、早めに行動しました。太原→北京も、普段は頻発しているバスを利用しますが、不確定要素の少ない列車にし、切符も旅行社を通して予約しました。さきほど受け取りに行ってようやくホッとしたところです。ところが、「北京の地下鉄はいま全面運休になっているよ」と、知り合いの日本人から連絡が入りました。地下鉄が使えないとなると、北京は広いのでまったく不便きわまりなく、高くなったタクシーを使わざるを得ません。昆明のバス爆破事件の犯行声明が、あるイスラム組織から出たというニュースもネットで目にしました。いったいぜんたい“平和の祭典”は、無事に開会式を迎えることができるのでしょうか?私はいよいよ明日の夜には、“戒厳令下”の北京に入ります。

ところで先日、とあるブログで、“中国式「緑化」”という文字を目にしました。ハゲ山に緑色のペンキを塗っていたというのを日本のテレビで放映したのだそうです。これをもって“中国式”と呼ぶべきかどうかはともかく、私は今回太原で、まさに“中国式”緑化事業を目の当たりにしました。

山西省省都太原は、臨県と北京の真ん中に位置するので、私はしょっちゅう立ち寄る都市です。5ヶ月前にも1年前にも来ました。長距離バスターミナルと列車の駅が歩けるほどの距離なので、私はだいたいこの近辺に宿をとります。そして、太原駅に直角にぶつかる大動脈の「迎澤大街」というのは、半年前も1年前も大工事中でした。道路を全部穿り返して、ついでにというか、その時期に便乗して、多くのホテルや商店が大改装工事中で、宿を取るのに苦労したのを覚えています。1年前には、いわば広い路上には一木一草なかったわけです。

ところが5ヶ月前に来たときには、植栽が始まっており、道路の両側にまさに移植されようとしている大木や小木がごろごろ寝転んでいて、小木はともかく、樹齢数十年か、もしかしたら100年を超えるのではないかとすら思えるような古木を、こんなに大量に、いったいどうやって移植するのだろう?と首をひねったものでした。日本ならばほんの幼木をひそやかに移植して、時間をかけてゆっくり見守るというのが、“自然に優しい”普通のやり方でしょう。

ところが今回、真夏の迎澤大街に、“忽然として”緑の並木道が出現していたのです。プラタナスや松や柏に、低木の正木や花木のむくげなどなど。他にも名前のわからない植物がもうぎっしりと分離帯を覆っていて、しかもみな青々として、はるか遠い昔から、この樹木たちは雨の日も風の日も、街行く太原市民を静かに見守ってきましたよ、といった風情なのです。

実はこの、“忽然として”というのが、中国式といっていいのです。これこそ、人口十数億の中国だからこそできる人海戦術のたまものなのです。そして、道路も公園も海も山も河も、み〜んなお国のものだからこそできる離れ業なのです。

私はこれまでにも、日本人の普通の感覚では、現実的にはあり得ない物や事が、“忽然と”現れるのを何度も見てきました。道路や公園や巨大なビルが“忽然と”現れるのは、今さら驚くに値しませんが、今回、この緑の並木道(しかもかなり長い)が“忽然と”現れたのにはほんとうにびっくりしました。

そして昨日、北京の代理店に航空券の予約の確認を入れたのですが、「そうそう、ターミナル変わりましたから気をつけてくださいね。ものすごく広くて迷うから早めに出てください」と注意されました。これまでの「首都機場」だってものすごく広くて迷いそうなのに、もっともっと巨大な迷路みたいなヤツが、きっと私の眼前に出現するのでしょう。滑走路1本で何十年ももめている日本と比べて、この国では“忽然として”現れる条件は整っているといえるのです。

(7月26日)
写真;1年前は一木一草なかった、というの信じられます?