プノン 街歩き

今さら感もありますが、プノンペンの街歩きスナップです。


街の名前の由来となった、ワットプノン。プノンというのは女性の名前のようです。ようです、というのは、ネットで確認したいのですが、現在中国ではyahooの検索が規制されていて使えないのです。googleはもともとダメで、ほんと〜にっ、不便この上ないです。中国の百度というサイトは使えるのですが、中国語でワットプノンをどう書くのか、なんてわかりません。


カンボジアの仏教は、上座部仏教なので、日本や中国とはいろんな違いがあります。おなじみのオレンジ色の僧衣で托鉢にまわるのは、上座部の方です。プノンにいると、朝の7時8時という時間帯にたくさんの僧たちが托鉢に廻っていて、見ていると、同じ家に何人も行くし、毎朝のことだし、お布施する方も大変じゃない?と下世話な質問をしたことがあるのですが、ああやって布施をすることが功徳なので、特に出家しない女性は、自分の代わりに仏に仕えている僧に対して尊崇の念を込めて布施するのだと教えてくれました。


こうやって派手派手にお賽銭を貼りつけます。大乗仏教ベトナムでもこれほどではないけれど、やっぱり賽銭はむき出しですね。日本はこっそり、あるいは紙に包んで出したりしますよね。なぜなんでしょう?


びっくりしたのはこれ。狛犬(?)が口に銜えているのは生肉、下の黄色っぽい塊は生卵ですよ!そばにいるおばさんがしょっちゅうかたづけてましたが、きっと食べるんでしょうね。大乗仏教ベトナムでも、子豚の丸焼きがお供えされていましたが、この供え物の感覚も内容も、日本とは大きく違います。


おかしかったのが、境内の入り口で売っていたこれ。ツバメですが、スズメもいました。どうするんだろう?と思ってみていたら、これを4,5羽買って、境内で放すんです。バーーッと放鳥して、空に帰ってゆくのを見ていたら、もしかしたら、近親に最近亡くなった人がいたときにやるのかなと思いました。しかし、スズメはともかく、ツバメをこんなに捉まえるのって、けっこう難しいかも。佐々木小次郎みたいなおっさんがバイトでやるんでしょうかね。


ワットプノンに入る手前に、カンボジア内戦中に亡くなったジャーナリストの碑というのがあります。数えてみたら、全部で37人、うち日本人が最多で10人でした。Kyoichi Sawada とTaizo Ichinose の名前も刻まれています。あの当時、こんなにたくさんの日本人が、それは功名心もあったかも知れないけれど、命がけで世界と対峙していたんだなぁと思うと、胸が熱くなります。何を隠そう、私は一時期、“戦場カメラマン”というのに憧れていたのです。


そのまた近くに、日本人が経営するこんなホテルがありました。温泉があるんだそうです。



こういうのって、中国にも多いんですが。。。


プノン市内には、4路線ほどの市バスが走っているのですが、距離的にはまだまだ短いです。移動の足はやはりトゥクトゥクです。今年の1月に行った時は、かなりオンボロのバスでしたが、今回すっかり新しく立派なバスに変わっていたのでびっくり。でも、どっかで見たことがあるなぁと思ったら、何のことはない、日ごろ離石で乗っているバスと同じでした。


ほらね。中国にしてはわりあい小さめの字で書いてあるでしょ、「中国援助」。
プノン在住の友人がいうには、「道路はぜ〜〜んぶ日本の支援できれいにしたのに、最後にちょっとお金出して、一番いいとこ持ってくんだよね。やっぱりうまいわ、中国。」

千里馬のニュウニュウ


9月9日、生徒たちを空港に迎えに行く前に、瀋陽駅界隈をぶらついていたら、あっ!と驚くものを見つけました。駅まで歩いて10分もかからない繁華街のど真ん中のやや裏手に位置するのですが、5年ほど前に行った、朝鮮族の夫婦がやっている食堂です。あの時に、翌年には取り壊されると聞いていたし、周りの状況から、それもむべなるかなと思っていたので、まさかまだ営業していたとは信じられませんでした。


最初に行った時は、確かウチのスタッフとふたりで入り、冷麺かなにか食べたと思います。帰り際に店の人に「どこから来たの?」と聞かれましたが、私が「日本人です。」と答えると、奥の方で包丁を使っていた男性が、「チッ!」と小さく舌打ちしたのです。聴力はすこぶる優秀な私はそういうのは聞き逃しません。

こういう時には“打って出る”のが私のやり方で、さっそくその夜に、生徒全員を連れて夕飯を食べに行きました。ボロい店構えで、とても安いのですが、味の方は上々でした。翌年からはもうないものと思い込んでいたし、スケジュールの関係もあったので、すっかり忘れていたのですが、まさかと思いなおして訪ねてみたら、あったのです。

オヤジさんの方は病気で寝たきりになってしまったそうで、オクサンと雇われコックさんとでやっていました。この建物は、かつてこの地が“満州国”であった時代に、日本人が造り、日本人が住んでいた建物です。「日本人が造ったものは、ほんとうに頑丈でね。」と、女主人は半ば苦笑いをこらえながらいっていました。2階部分はもう崩れて使えないそうですが、店舗部分は確かに分厚い壁に、立派な柱造りで、まだまだ10年くらいは使えそうです。30年ほど前に店を開いたそうですが、じゃその前は?と聞いてみると、なんと、人民解放軍が使っていたそうです。



ここで私は、5年前にはいなかったニュウニュウという名のワンちゃんに出会いました。ベビーカーの中にいたのであれ?と思ったのですが、横を見るとこんな補助具が置いてあったのです。老犬ではなく、子供の頃に病気になったんだそうです。もしかしたら生まれつきかも知れませんが、犬にこういった器具を付けて飼っている人を、私は中国で初めて見ました。女主人が、「日本人は犬を捨てたりしないよね?」と聞くので、私はつい「そうですよ。」といってしまいましたが、現実にはいろいろ遺棄問題を抱えているのはご承知の通りです。こんなふうに日本人に対して“好意的”な言い方をしてくれたのを覆したくなかったので、ついつい大ウソをついてしまいました。


ニュウニュウは補助具を付けると元気にあちこち動き回ります。両後ろ足が完全に萎えているので、補助具なしではまったく動けません。私は老齢化したなつめのことを思い出しながら、「来年も来るからね、元気でいるんだよ。長生きするんだよ。」と、何度もなぜなぜしながら話しかけました。

泊まっていたホテルが近かったこともあって、けっきょく生徒たちは、中国最初の食事と最後の食事の両方を、この千里馬食堂で取り、ニュウニュウに別れを告げて飛行場に向かいました。今回の生徒たちは大メシ食らいが多く、出て来たものをきれいさっぱり、一点残らず平らげたのですが(写真を撮っておけばよかった)、女主人は「中国人は平気で食べ物を残すけど、こんなにきれいに食べてくれて…」と、なぜか感無量といったていで私たちを見送ってくれたのです。家に帰ってから、間違いなく“日本人嫌い”だったはずのお連れ合いに、きっといろいろ報告してくれるんだろうなあと思いつつ、初日、裏通りをぶらついてよかったと思いました。


おまけ;長春で。迷惑だっ!、て顔してません?


太原にいたなつめ犬。

生命力

村を出たのは7月の26日でした。本来は2週間ほどで帰る予定だったのですが、こんな事態になってしまって、結局2か月間留守にしたことになります。チビなつ亡き後、ウチで私を待っている生物は、瓶の中で飼われている4匹のサソリだけになってしまったわけですが、サソリは絶食に強いので、多分何匹かは生きているとは思っていました。


さすがですね、私の生命力も相当なもんですが、2か月も食糧なしでは、確実に餓死します。サソリは全員無事でした。でも、びっくりしたのはそのことではなく、実はゴキブリも2匹入れてあったのですが、それが生きていたのです。これはサソリのエサになるかしらと思って入れたものですが、固すぎるのかぜんぜん食べなくて、むしろ仲良く共存していたものです。日本のゴキブリとは違って、もっと丸っこい体をしていて、ずっと大型です。ゴキブリではないのかも知れませんが、とりあえず私はゴキブリと呼んでいます。普段は土の中に潜っていて、時々地上に出てくるのですが、私が帰ったときには、歓迎の意味でもあったのでしょうか、2匹とも姿を現していました。しかしこのゴキブリはいったい何を食べているのでしょう?肉食なのか草食なのかもわからず、エサをあげたことはないのですが、サソリのおこぼれでももらっているのでしょうか?隠れ場所用に入れてある木片の皮でもかじっているのでしょうか?

それで、サソリのために、昨日もおとといも、ショウジョウバッタという、緑色のスマートでかなりきれいな昆虫を、かわいそうだな、ごめんよといいながら放り込んでみたのですが、ほんのちょっとかじるだけで、死骸がそのまま放置されていました。好物ではないようです。そもそもいったん死んだものを後から食べるということはないようです。


で、今朝起きて、布団を畳んでいたら、便所コオロギが飛び出してきたので、さっそく捕まえて入れてみました。そうしたら、真昼間から一気に襲撃して、気がついたらもぐもぐ食べていたのです。普段は日中は石の下などに隠れていてほとんど動かないのですが、やっぱりお腹がすいていたんですね。

しかし、これほど生命力の強いサソリも最近はめっきり減って来ました。漢方の薬剤として高く売れるので、サソリ捕りは、夏の村人たちの恰好のアルバイトとなっているからです。やっぱり人間様にかなう生命力までは持ち合わせていないようですね。もっとも種としては、4億3千万年前から存在していたそうですが。

カンボジア経済の不思議

ゆうべ瀋陽に到着しました。この間忙しくてなかなかアップできなかったのですが、この「不思議」に関してはどうしても書かなければなりません。が、しかし、あさってには生徒たち21名がやって来るので、今からあれこれ用事があって出かけます。今夜中にはなんとかしたいです。


カンボジアの物価が思いのほか高い、ということは何度も書きました。しつこいようですが、2016年のアジアのひとりあたり名目GDPというのを下にあげておきます。

1位 マカオ      67.079米ドル
4位 日本       43,527
5位 韓国       38,917
10位 中国       8,113
17位 ベトナム     2,173
24位 カンボジア    1,229
25位 ネパール      733(最下位)

つまり、カンボジアは日本の1/25以下ということになります。なので、今年の2月に初めて行ったとき、私は物価は中国より安いだろうと単純に思っていました。しかしその“期待”は、空港到着早々見事に裏切られ、空港から中心部まで行くTAXI料金は(プノンペンの場合)、北京の3倍以上したのです。


考えてみれば、第一の理由は非常に簡単で、街で手に入る商品のほとんどが輸入品であるということです。スーパーの棚に並んでいる商品は、日本、韓国、中国、ベトナムのものばかりで、カンボジア製というと、胡椒と石鹸くらいしか目に入らないほどです。冷凍肉もおそらくはベトナムから。レジでもらうビニール袋がえらく立派だと思ったら、それもベトナムから来ているそうです。もちろん、土地の人たちが行く市場には生鮮食料品が並んでいるし、価格にもずいぶん開きがあるとは思います。


それにしても、高いのです。中国より安いと思うのはホテル代くらいで、その他はだいたい2倍〜3倍の感じで、いったい一般庶民はどうやって生活しているのだろうと不思議でたまりません。シェムリアップの旅行社で働いている事務の女性は、月給250ドルといっていましたが、彼女はある程度日本語ができたので、平均よりは高給のはずです。公務員の給料がわかるといいのですが、今回は聞きそこねました。

バイクはもちろんホンダ、スズキ。車はトヨタ。私が泊まったホテルにあったクーラーはパナソニック、テレビはソニー、冷蔵庫はサンヨーでした。そして輸入品というのは、街に溢れかえるモノだけではなく、石油はもちろんのこと、電気までもがほとんどベトナム、タイからの輸入品なんだそうです。電気代は高く、一人暮らしの若い日本の男性で、1か月70ドルくらいだといっていました。どうしてもクーラーを付けてしまうからです。もちろん一般庶民にとっては、クーラーなど高嶺の花でしょう。


それから医療費にもびっくりしました。これは中国でも同じで、おそらくはアメリカなどでもそうかもしれませんが、受診するためにまずはデポジットが必要なのです。私の場合は“急患”で、外国人ということで、まずCTを撮ってはくれましたが、結果を待たずに、ホテルまで戻ってお金を取ってこいといわれ、頭も足腰もまだフラフラしているのに、深夜に病院の車でお金を取りに戻らされたのです。日本ではあり得ない状況でした。そもそも開口一番、旅行保険に入っているかと問われたのですが、これにさえ入っていれば、取りはぐれがないから、それはもう丁重な(過剰なほどの?)診療が受けられるようです。一般庶民にはもちろん“高嶺の花”でしょう。

そして、聞いてもいないのに、もし結果に問題があって手術が必要になっても、ここでは対処できないといわれました。じゃ、どうするのかと、これはあとで現地の日本人から聞いたことですが、多くの場合、プノンペンではなく、バンコクに移送されるのだそうです。つまり私が一番いいたいのはここで、カンボジアでは医療すら、高度なものは“外国製”で、自国では賄えないということです。内戦の後遺症で、インフラはもちろん、人材がまだ育っていないということだと思います。

そして、大学の授業は国文学系を除いて、すべて英語で講義されるそうで、当然教科書も英語です。高等教育の教材を自ら編纂することがまだできないのだそうです。しかし、そのための人材を英語で養成しているとしたら、その先に展開されるのは、やはり“輸入”された英語に頼らざるを得ない高等教育と考えるのは当然の成り行きでしょう。スーパーのインスタントラーメンから高等教育まで、この国ではすべてが“輸入品”なのです。


そして“不思議”はまだまだ続くのです。私が見て来たのは、シェムリアッププノンペンという、カンボジアでも最も豊かな地域であることは間違いないのですが、街角のカフェに入ると(そもそもそういう所に入れるということは余裕があるのでしょうが)、若い人たちはしょっちゅうスマホをいじっていて、日本の光景とそんなに変わらないのです。通信費というのがどのくらいか知りませんが、どこからそんな余裕を捻出しているのか、とても不思議です。


で、この謎をとく鍵を、プノンから帰国する前日に偶然入った、日本人が経営する居酒屋で見つけました。2年ほど前に店を開いたという、関西なまりのマスターが、「最近は、一般庶民の中にもローンという制度が定着してきて、家から車からバイクからスマホまで、みなローンで買っている。」というのです。カンボジア人は“見栄っ張り”だから、自分の給料ではとても払いきれないローンを組んでしまって、あげくに家でも車でも、じきに売りに出してしまうというのです。この話の信ぴょう性をどこまで信じればいいのか確定できないのですが、おおむね現象的には正しいと思われます。

う〜〜ん、なるほどと思いました。しかし問題は、銀行から貸し出される膨大な金の原資は、いったいどこから来ているのかということです。もちろん観光収入というのはあると思います。アンコールワットの入場料は、1日券でひとり37ドルです。その上に、入国には1日でもビザが必要で(空港で簡単に取れる)、これが30ドル。両方合わせていったい年間どれほどの収入があるのか見当もつきませんが、閑散期の今であれだけの人出ですから、年収は相当なものでしょう。しかし、それだけで賄えるものでもありません。

私は経済学に関してはまったくの無知ですが、ここで他に思い当たるのは、ODAです。


この先に関しては、私も勉強して確かなものをお伝えしなければならないのですが、如何せん知識が欠落しております。今はWilkiをひく時間もないのですが、とにかく、内戦終了の兆しが見え始めてから、カンボジアには世界中からODAが“殺到”していると聞きます。

※生徒たちが帰国した、まさにその日から、きのう23日まで、またしてもブログが表示されませんでした。検索もいっさいダメ。でも、中国のサイトとyahooは表示されていたので、ニュースは見ていました。麻生が「難民を射殺……」というトランプすら言うに憚っていたことを平然と宣っても、みんな選挙のことしか頭にないのか、さして問題にもされていないようですが、どういうことなんでしょう?


片や中国では、この間、東海岸の大都市、そして太原を経由してきたわけですが、どこに行っても共産党プロパガンダがこれまでにも増して目立ちました。「没有共産党 就没有新中国」(共産党がなければ 新中国もない)というやつです。もっとも、中国の民衆が、これをどこまで受け入れているかはまた別の話ですが……

とにかく、ゆうべ村に戻りました。今回も生徒20人、無事に予定をこなし、おみやげを抱えて故郷に帰って行ったのを見(聞き)届けてホッと胸をなでおろしているところです。高校の生徒20人といえば、フツウなら、プロの添乗員がひとりくらいは付くと思うのですが、引率の教師がひとり来るだけなので、この間はほんと〜〜に神経を使いまくります。しかし今回は病人も出ず、さしたる問題も起こらず“平穏”な旅でした。

実際のところ、ここ最近の対日感情というのは決して悪くはないのです。4、5年前までの方が、瀋陽のバスの中で生徒がからまれたり、ハルビンのレストランで入店を拒否されたり、ナイフ持ち出して喧嘩になりそうになったり(これは、ウチの生徒の方が悪い)と、毎年918の頃に重なるので、緊張することが多かったのですが、この2、3年そういうことは一度もありませんでした。

それはなぜかというと、第一に世代交代が進んでいて、若者たちの中に“中日戦争”というものが、いくら政府が頑張ってみたところで希薄になってきているということでしょう。そこに日本のアニメ、漫画の力というのは計り知れず大きいです。もうひとつは、日本のモノに対する憧れと信頼が、以前のように、限られたモノ、一部の人たちのものではなくなり、すでに一般の人たちの中に浸透してきているということにあると思います。かつてのように、車やITなどではなく、例えば100円ショップで手に入るような雑貨品の使い勝手の良さ、家電製品の高性能と安定性、医薬化粧品などの安全性を彼らはよく知っているのです。もともとがフレキシブルこの上ない人たちですから、“反日”と“日本製”はもう関係がなくなってきていると考えていいでしょう。私はこの間、春秋航空を使うことが多いのですが、私以外はすべて中国人団体客、という光景がほとんどでした。(失礼ながら)えっ、こんな人たちが日本に行くの?というような普段着のおじさんおばさんたちが、こぞって日本に出かけ、小山のような“日本製品”を購入して帰って来るのです。重慶に住むウチの大家の娘さんは、私の顔を見るなり「ウチではもう日本製品しか買わないのよ」と、おせじを差し引いてもなお、彼女の日本製品に対する信頼度は政府のプロパガンダをはるかに凌いでいるようでした。


ところで、この項は「カンボジア経緯の不思議」でしたよね。書き出してからすでに2週間以上が経過してしまって、何を書いているのかわからなくなってきましたが、とにかく、私が行きついた“結論”らしきものは、ODAです。なにしろ、中国の1/6に満たないGDPなのに、物価は中国の2倍、時にはそれ以上するのです。こんな不思議な話はありません。つまりカンボジア国民の生産力によらない金が、どこかからやって来て、それが一部の地域内でだけ廻っていると考えざるを得ないのです。


ODAに関しても私は無知ですが、歴史的な経緯も含めて、内戦後にカンボジアに投下された世界のODAは巨額に上るものと考えられます。それらは当然土木、医療、教育など、カンボジアの真の復興の為に使われて当然なわけですが、実際には“それ以外”のところに廻っているのではないか?というのは、実は公然の秘密であって、カンボジアに限ったことではないようです。しかし、ろくに働きもしないで(=仕事がない)ローンでスマホ買ってコーヒーショップで油売ってる若者がこれ以上増えたら、カンボジア経済が破綻するのは目に見えているのではないでしょうか?私はこの国がものすごく好きになって来ているので、もちろんそんな未来がやって来ないでほしいと心配になるのですが、こういう見方は正しくないのでしょうか?経済に強い方々のご教示ご意見(あ、弱い方も)をお待ちしています。

SUPER MARKET

恒例のスーパーマーケット巡りです。シェムリアップには、観光客と共に、中長期滞在型の外国人がびっくりするほど多く、ほぼ彼らを対象としているのではないかと思われるスーパーが何軒かありました。価格が高いので、とても現地の一般庶民が日常的に買い物をするところとは思われません。私が見たところでも、客のほとんどがヨーロッパ系の滞在型の人、韓国や日本からの観光客らしき人、生活が裕福な華人系の人たちでした。経営者にも華人系が多いようで、いたるところで漢字が見られました。


チーズやハム、ヨーグルト、そしてワインなど、日本のちょっとしたスーパーよりも品ぞろえが豊富ですが、切り売りで、100g 20〜40ドルと、とても高いです。現地の人たちが買える値段ではありません。


こういったものは全アジアどこに行ってもありそうですね。なぜかシマヤだしの素、おたふくソースというのは定番です。


定住日本人がいるということですね。海苔巻きとおにぎりもありました。


MINISOというのは、日本の無印と100均の中間くらいの感じ。ベトナムでも中国でもときどき見ます。商品はすべて日本人デザイナーによるものだそうです。


国立博物館に併設されているオシャレな土産物屋。1階の階という字が中国語の簡体字で書かれていますが、香港や台湾でなく、大陸部からの観光客が多いという意味ですね。



こちらはプノンペンのイオン。カードが使えないので、ここに入っているAir asiaのオフィスまで行って航空券を買いました。もう現金がないでしょう、と思われるかもしれないですが、実は、シェムリアップ中国銀行に行ったら、普段中国で使っているカードで、そのままATMからドルが引き出せたのです。両替もなにもなし。


まだオープンしたてのようで、ただ単に遊びに来ていた人も多そうでした。カンボジア本来の市(マーケット)と比べて、なんと煌びやかで広々として清潔感のある空間なんでしょう。独特の臭いもきれいさっぱり消えてしまいました。


寿司コーナーは豊富でした。1パック3ドルくらい。


価格はこうやって2重に表示されます。一般的には1ドルが4000リエル。例えば1.5ドルを支払うときは、1ドルと2000リエル、ないしは2ドル払うと、2000リエルのおつりが返って来るということになります。ただし、スーパーで1.35ドルなんていうともう計算ができないので、2ドルを払うことになり、そうするとおつりの細かいリエル札がたまってくるのです。で、その細かいのをまとめて8000リエルくらい使おうとすると、イヤな顔されます。やっぱりドルの方がいいみたいです。一番小さいお札が100リエルで、日本円の3円ほどでしょうか、お寺の賽銭くらい(1枚じゃダメですよ)しか使い道がないですね。

リエルでしか払えないのがプノンの市バスの料金。1500リエル。乗るときに箱に投入するスタイルで、私は1ドルしかなかったので、つりは出なくてもいいやと思って乗ったのですが、運転手がダメだダメだ(つりは出ないよ)というのを横で見ていた人が、私の1ドルをリエルに両替してくれました。カンボジア人はやっぱり優しいですね、中国人なら知らんふりです。ただ、中国人の場合、両替してくれないかと、具体的に誰かに頼めば替えてくれることもあります。

国道6号線→プノンへ

私はいまプノンペンです。すでに時間が経ってしまいましたが、振り返ってみれば、私がバイクにはねられたのは8月10日でした。それで翌日の中国深セン行きのチケットはチャラにしてしまいましたが、1週間の静養の後、18日の関空行きAir asiaのチケットをネットで購入しました。カンボジア以上に暑い無医村の黄土高原の村に帰っても、やはり不安が残るので、日本に帰って再検査をしてもらうつもりでした。


朝6時半、トゥクトゥクに乗ってシェムリアップ空港(↑上の写真)に向かい、チェックインカウンターに並びました。Air asiaのチェックインはいつも長い時間がかかって、かなりイライラさせられるのですが、ようやく私の番になってパスポートを差し出すと、そっけなく「あなたの名前はない」というのです。え、まさかと、場所を変えて担当の人にいろいろ調べてもらったところ、「確かにあなたの名前はあるけれど、カードに不備があって、決済されていない」というのです。その上、本日分のチケットは完売。そ、そんなはずはない。ホテルの予約なんかもすべて順調にできているし、確か確認メールもきていたはずだ、とあわててパソコンを取り出すも、バッテリーがすでに壊れているので、コンセントがないとそもそも電源が入らない。カウンターのコンセントは使わせてもらえないので、空港の壁をあちこち探し回ってようやく見つけ、起動させるのにこれまた超時間がかかって、バタバタしている間にチェックインカウンターは閉じられてしまったのです。

仕方なくBopha Pollenに戻りました。どう考えても合点がいかないけれど、私はどうもカードの使い方というのがよくわかっていないので、何かしら不備があったのだろうか。後で知ったことによると、カードには1か月の上限金額というのがあって、今回はそれを越えてしまっていたのです。生徒たちが来るときのホテルなども押さえていたので、それでオーバーしたらしいのですが、そういうことはメールにお知らせでも入れてくれればいいのに、搭乗1時間前になるまでわかりませんでした。またまたゼロからやり直しです。

朝っぱらからロビーでふてくされていた私を見たマネージャーが、「今夜の分はタダでいいからここに泊まりなさい。必要ならば、一緒にチケット売り場に行ってあげるから」とまたまた親切にいってくれ、レストランの方からコーヒーも出てくるし、ほんとうにここはいいホテルです。

とにかくネットをグルグルしてみたのですが、ちょうど時期が悪く、お盆休暇のリターンピークです。料金は軒並み片道なのに8万10万円で、私にはどうしようもありません。ところがプノンペンからのフライトを見てみたら、ぐっと安くて3万円しないのです。もうプノンから帰ることにしました。つまり、シェムリアップと違って、プノンなど日本からの観光客は誰も行かないということでしょう。



街に出て、さっそくプノン行きのバスのチケットを購入しました。7ドルでした。やれやれ、ホテルに戻って、ほんとうにその夜はタダで泊めてもらい、翌日、バス会社からの迎えのトゥクトゥクに乗ってターミナルまで行き、半ば宅配便化されたVIPバスで途中2度の休憩をはさんで7時間。無事プノンに到着しました。


これがカンボジア最主要幹線、6号線。プノンからは1号線となって、メコンデルタを越えてまっすぐホーチミンに向かいます。

Ice Cream with Rice


そうなんです、フリントストーンさん。私も不思議に思っていました。私が見ていた限りでは、Rice を注文する人はいなかったし、そもそもどう考えても、Ice CreamとRiceじゃミスマッチでしょう。でも同じことを考える人はいるものだなぁと思って、がぜん、真相を究明する気になり、フロントに行ってみました。ちょうど“仏さま”がいたので写真を見せて聞いてみると、ゲラゲラ笑って、となりの店に行けばあるよ、というのです。


ホテルのすぐ右隣りが、パーラーショップというんでしょうか、アイスやシェイクなどを売っていますが、一度も入ったことはありません。扉を開けてさっそくデジカメの写真を見せ、これをくれというと、出てきましたねぇ〜〜。


これです。下はアイスクリームになっています。どこからどう見てもIce Cream with Riceです。で、これがなかなかおいしかったのです。ライスそのものが日本のコメとは違ってパリパリしていて、かなり甘みがありました。アイスクリームにビスケットやウエハースなど付けたりしますが、考えてみれば、穀物とアイスというのは相性がいいのです。

ここは大衆甘味屋といった感じの店でしたが、写真付きのメニューがあって、そこに単品でRiceというのがあったのです。1000リエルですから、30円くらいということです。つまりカンボジアでは、アイスはもちろん、バナナシェイクやマンゴージュースやメロンフラッペなどにもRiceを乗せて食べる習慣があるということです(おそらく)。おかげさまでこれはなかなかおもしろい発見でした。文化ですねぇ。


これが Bopha Pollen Hotel 30室ほどしかない小さなホテルですが、シェムリアップにいらっしゃる方にはお勧めです。Expedia で検索すれば出てきます。


ホテルの前で待っているトゥクトゥク。みんなガツガツしないで、のんびりやってます。


ホテルの向かいが、修理工場か何かかしらと思ってしまう、実は韓国ラーメン屋。なぜか、Jポップがしょっちゅう流れています。ホテルのななめ裏手には、日本人が経営するうどん屋があるそうです。

ご質問の、なぜ旅人がドッグフードを持ち歩いているのかというのは、前にいたホテルのチャチャイという犬が、高級ハムばかりをねだるので、スーパーで買ったのですが、食べないんですね、これがぜんぜん。仕方なく持って歩いて、寺に行くとたくさんいるので、布施して歩いていたわけです。