カンボジア経済の不思議

ゆうべ瀋陽に到着しました。この間忙しくてなかなかアップできなかったのですが、この「不思議」に関してはどうしても書かなければなりません。が、しかし、あさってには生徒たち21名がやって来るので、今からあれこれ用事があって出かけます。今夜中にはなんとかしたいです。


カンボジアの物価が思いのほか高い、ということは何度も書きました。しつこいようですが、2016年のアジアのひとりあたり名目GDPというのを下にあげておきます。

1位 マカオ      67.079米ドル
4位 日本       43,527
5位 韓国       38,917
10位 中国       8,113
17位 ベトナム     2,173
24位 カンボジア    1,229
25位 ネパール      733(最下位)

つまり、カンボジアは日本の1/25以下ということになります。なので、今年の2月に初めて行ったとき、私は物価は中国より安いだろうと単純に思っていました。しかしその“期待”は、空港到着早々見事に裏切られ、空港から中心部まで行くTAXI料金は(プノンペンの場合)、北京の3倍以上したのです。


考えてみれば、第一の理由は非常に簡単で、街で手に入る商品のほとんどが輸入品であるということです。スーパーの棚に並んでいる商品は、日本、韓国、中国、ベトナムのものばかりで、カンボジア製というと、胡椒と石鹸くらいしか目に入らないほどです。冷凍肉もおそらくはベトナムから。レジでもらうビニール袋がえらく立派だと思ったら、それもベトナムから来ているそうです。もちろん、土地の人たちが行く市場には生鮮食料品が並んでいるし、価格にもずいぶん開きがあるとは思います。


それにしても、高いのです。中国より安いと思うのはホテル代くらいで、その他はだいたい2倍〜3倍の感じで、いったい一般庶民はどうやって生活しているのだろうと不思議でたまりません。シェムリアップの旅行社で働いている事務の女性は、月給250ドルといっていましたが、彼女はある程度日本語ができたので、平均よりは高給のはずです。公務員の給料がわかるといいのですが、今回は聞きそこねました。

バイクはもちろんホンダ、スズキ。車はトヨタ。私が泊まったホテルにあったクーラーはパナソニック、テレビはソニー、冷蔵庫はサンヨーでした。そして輸入品というのは、街に溢れかえるモノだけではなく、石油はもちろんのこと、電気までもがほとんどベトナム、タイからの輸入品なんだそうです。電気代は高く、一人暮らしの若い日本の男性で、1か月70ドルくらいだといっていました。どうしてもクーラーを付けてしまうからです。もちろん一般庶民にとっては、クーラーなど高嶺の花でしょう。


それから医療費にもびっくりしました。これは中国でも同じで、おそらくはアメリカなどでもそうかもしれませんが、受診するためにまずはデポジットが必要なのです。私の場合は“急患”で、外国人ということで、まずCTを撮ってはくれましたが、結果を待たずに、ホテルまで戻ってお金を取ってこいといわれ、頭も足腰もまだフラフラしているのに、深夜に病院の車でお金を取りに戻らされたのです。日本ではあり得ない状況でした。そもそも開口一番、旅行保険に入っているかと問われたのですが、これにさえ入っていれば、取りはぐれがないから、それはもう丁重な(過剰なほどの?)診療が受けられるようです。一般庶民にはもちろん“高嶺の花”でしょう。

そして、聞いてもいないのに、もし結果に問題があって手術が必要になっても、ここでは対処できないといわれました。じゃ、どうするのかと、これはあとで現地の日本人から聞いたことですが、多くの場合、プノンペンではなく、バンコクに移送されるのだそうです。つまり私が一番いいたいのはここで、カンボジアでは医療すら、高度なものは“外国製”で、自国では賄えないということです。内戦の後遺症で、インフラはもちろん、人材がまだ育っていないということだと思います。

そして、大学の授業は国文学系を除いて、すべて英語で講義されるそうで、当然教科書も英語です。高等教育の教材を自ら編纂することがまだできないのだそうです。しかし、そのための人材を英語で養成しているとしたら、その先に展開されるのは、やはり“輸入”された英語に頼らざるを得ない高等教育と考えるのは当然の成り行きでしょう。スーパーのインスタントラーメンから高等教育まで、この国ではすべてが“輸入品”なのです。


そして“不思議”はまだまだ続くのです。私が見て来たのは、シェムリアッププノンペンという、カンボジアでも最も豊かな地域であることは間違いないのですが、街角のカフェに入ると(そもそもそういう所に入れるということは余裕があるのでしょうが)、若い人たちはしょっちゅうスマホをいじっていて、日本の光景とそんなに変わらないのです。通信費というのがどのくらいか知りませんが、どこからそんな余裕を捻出しているのか、とても不思議です。


で、この謎をとく鍵を、プノンから帰国する前日に偶然入った、日本人が経営する居酒屋で見つけました。2年ほど前に店を開いたという、関西なまりのマスターが、「最近は、一般庶民の中にもローンという制度が定着してきて、家から車からバイクからスマホまで、みなローンで買っている。」というのです。カンボジア人は“見栄っ張り”だから、自分の給料ではとても払いきれないローンを組んでしまって、あげくに家でも車でも、じきに売りに出してしまうというのです。この話の信ぴょう性をどこまで信じればいいのか確定できないのですが、おおむね現象的には正しいと思われます。

う〜〜ん、なるほどと思いました。しかし問題は、銀行から貸し出される膨大な金の原資は、いったいどこから来ているのかということです。もちろん観光収入というのはあると思います。アンコールワットの入場料は、1日券でひとり37ドルです。その上に、入国には1日でもビザが必要で(空港で簡単に取れる)、これが30ドル。両方合わせていったい年間どれほどの収入があるのか見当もつきませんが、閑散期の今であれだけの人出ですから、年収は相当なものでしょう。しかし、それだけで賄えるものでもありません。

私は経済学に関してはまったくの無知ですが、ここで他に思い当たるのは、ODAです。


この先に関しては、私も勉強して確かなものをお伝えしなければならないのですが、如何せん知識が欠落しております。今はWilkiをひく時間もないのですが、とにかく、内戦終了の兆しが見え始めてから、カンボジアには世界中からODAが“殺到”していると聞きます。

※生徒たちが帰国した、まさにその日から、きのう23日まで、またしてもブログが表示されませんでした。検索もいっさいダメ。でも、中国のサイトとyahooは表示されていたので、ニュースは見ていました。麻生が「難民を射殺……」というトランプすら言うに憚っていたことを平然と宣っても、みんな選挙のことしか頭にないのか、さして問題にもされていないようですが、どういうことなんでしょう?


片や中国では、この間、東海岸の大都市、そして太原を経由してきたわけですが、どこに行っても共産党プロパガンダがこれまでにも増して目立ちました。「没有共産党 就没有新中国」(共産党がなければ 新中国もない)というやつです。もっとも、中国の民衆が、これをどこまで受け入れているかはまた別の話ですが……

とにかく、ゆうべ村に戻りました。今回も生徒20人、無事に予定をこなし、おみやげを抱えて故郷に帰って行ったのを見(聞き)届けてホッと胸をなでおろしているところです。高校の生徒20人といえば、フツウなら、プロの添乗員がひとりくらいは付くと思うのですが、引率の教師がひとり来るだけなので、この間はほんと〜〜に神経を使いまくります。しかし今回は病人も出ず、さしたる問題も起こらず“平穏”な旅でした。

実際のところ、ここ最近の対日感情というのは決して悪くはないのです。4、5年前までの方が、瀋陽のバスの中で生徒がからまれたり、ハルビンのレストランで入店を拒否されたり、ナイフ持ち出して喧嘩になりそうになったり(これは、ウチの生徒の方が悪い)と、毎年918の頃に重なるので、緊張することが多かったのですが、この2、3年そういうことは一度もありませんでした。

それはなぜかというと、第一に世代交代が進んでいて、若者たちの中に“中日戦争”というものが、いくら政府が頑張ってみたところで希薄になってきているということでしょう。そこに日本のアニメ、漫画の力というのは計り知れず大きいです。もうひとつは、日本のモノに対する憧れと信頼が、以前のように、限られたモノ、一部の人たちのものではなくなり、すでに一般の人たちの中に浸透してきているということにあると思います。かつてのように、車やITなどではなく、例えば100円ショップで手に入るような雑貨品の使い勝手の良さ、家電製品の高性能と安定性、医薬化粧品などの安全性を彼らはよく知っているのです。もともとがフレキシブルこの上ない人たちですから、“反日”と“日本製”はもう関係がなくなってきていると考えていいでしょう。私はこの間、春秋航空を使うことが多いのですが、私以外はすべて中国人団体客、という光景がほとんどでした。(失礼ながら)えっ、こんな人たちが日本に行くの?というような普段着のおじさんおばさんたちが、こぞって日本に出かけ、小山のような“日本製品”を購入して帰って来るのです。重慶に住むウチの大家の娘さんは、私の顔を見るなり「ウチではもう日本製品しか買わないのよ」と、おせじを差し引いてもなお、彼女の日本製品に対する信頼度は政府のプロパガンダをはるかに凌いでいるようでした。


ところで、この項は「カンボジア経緯の不思議」でしたよね。書き出してからすでに2週間以上が経過してしまって、何を書いているのかわからなくなってきましたが、とにかく、私が行きついた“結論”らしきものは、ODAです。なにしろ、中国の1/6に満たないGDPなのに、物価は中国の2倍、時にはそれ以上するのです。こんな不思議な話はありません。つまりカンボジア国民の生産力によらない金が、どこかからやって来て、それが一部の地域内でだけ廻っていると考えざるを得ないのです。


ODAに関しても私は無知ですが、歴史的な経緯も含めて、内戦後にカンボジアに投下された世界のODAは巨額に上るものと考えられます。それらは当然土木、医療、教育など、カンボジアの真の復興の為に使われて当然なわけですが、実際には“それ以外”のところに廻っているのではないか?というのは、実は公然の秘密であって、カンボジアに限ったことではないようです。しかし、ろくに働きもしないで(=仕事がない)ローンでスマホ買ってコーヒーショップで油売ってる若者がこれ以上増えたら、カンボジア経済が破綻するのは目に見えているのではないでしょうか?私はこの国がものすごく好きになって来ているので、もちろんそんな未来がやって来ないでほしいと心配になるのですが、こういう見方は正しくないのでしょうか?経済に強い方々のご教示ご意見(あ、弱い方も)をお待ちしています。