プノン 街歩き

今さら感もありますが、プノンペンの街歩きスナップです。


街の名前の由来となった、ワットプノン。プノンというのは女性の名前のようです。ようです、というのは、ネットで確認したいのですが、現在中国ではyahooの検索が規制されていて使えないのです。googleはもともとダメで、ほんと〜にっ、不便この上ないです。中国の百度というサイトは使えるのですが、中国語でワットプノンをどう書くのか、なんてわかりません。


カンボジアの仏教は、上座部仏教なので、日本や中国とはいろんな違いがあります。おなじみのオレンジ色の僧衣で托鉢にまわるのは、上座部の方です。プノンにいると、朝の7時8時という時間帯にたくさんの僧たちが托鉢に廻っていて、見ていると、同じ家に何人も行くし、毎朝のことだし、お布施する方も大変じゃない?と下世話な質問をしたことがあるのですが、ああやって布施をすることが功徳なので、特に出家しない女性は、自分の代わりに仏に仕えている僧に対して尊崇の念を込めて布施するのだと教えてくれました。


こうやって派手派手にお賽銭を貼りつけます。大乗仏教ベトナムでもこれほどではないけれど、やっぱり賽銭はむき出しですね。日本はこっそり、あるいは紙に包んで出したりしますよね。なぜなんでしょう?


びっくりしたのはこれ。狛犬(?)が口に銜えているのは生肉、下の黄色っぽい塊は生卵ですよ!そばにいるおばさんがしょっちゅうかたづけてましたが、きっと食べるんでしょうね。大乗仏教ベトナムでも、子豚の丸焼きがお供えされていましたが、この供え物の感覚も内容も、日本とは大きく違います。


おかしかったのが、境内の入り口で売っていたこれ。ツバメですが、スズメもいました。どうするんだろう?と思ってみていたら、これを4,5羽買って、境内で放すんです。バーーッと放鳥して、空に帰ってゆくのを見ていたら、もしかしたら、近親に最近亡くなった人がいたときにやるのかなと思いました。しかし、スズメはともかく、ツバメをこんなに捉まえるのって、けっこう難しいかも。佐々木小次郎みたいなおっさんがバイトでやるんでしょうかね。


ワットプノンに入る手前に、カンボジア内戦中に亡くなったジャーナリストの碑というのがあります。数えてみたら、全部で37人、うち日本人が最多で10人でした。Kyoichi Sawada とTaizo Ichinose の名前も刻まれています。あの当時、こんなにたくさんの日本人が、それは功名心もあったかも知れないけれど、命がけで世界と対峙していたんだなぁと思うと、胸が熱くなります。何を隠そう、私は一時期、“戦場カメラマン”というのに憧れていたのです。


そのまた近くに、日本人が経営するこんなホテルがありました。温泉があるんだそうです。



こういうのって、中国にも多いんですが。。。


プノン市内には、4路線ほどの市バスが走っているのですが、距離的にはまだまだ短いです。移動の足はやはりトゥクトゥクです。今年の1月に行った時は、かなりオンボロのバスでしたが、今回すっかり新しく立派なバスに変わっていたのでびっくり。でも、どっかで見たことがあるなぁと思ったら、何のことはない、日ごろ離石で乗っているバスと同じでした。


ほらね。中国にしてはわりあい小さめの字で書いてあるでしょ、「中国援助」。
プノン在住の友人がいうには、「道路はぜ〜〜んぶ日本の支援できれいにしたのに、最後にちょっとお金出して、一番いいとこ持ってくんだよね。やっぱりうまいわ、中国。」