日本人はキャラを変えた?

ネットの繋がりがよかったせいで、普段なら間違いなく目にすることもなかったであろう一文を読みました。東浩紀という人がニューヨークタイムズに寄稿したものです。私は恥ずかしながら読書という習慣を持たない人間なので、この人がどういう人か知りませんが、なんでも若手の気鋭の論客なんだそうです。

彼は東京で今回の大地震に遭遇して後、次のように書いています。日本人は敗戦後、ずっと自分たちの政府や国を誇りに思うことがめったになかった不幸な民族だが、今回の災害以降、自らの国を肯定的に捉え始めている、と。

【日本人の間で「公共」についてこれほど取り沙汰されているのを、僕は見たことが無かった。つい最近まで日本人と政府は、愚痴と口論にまみれた、優柔不断で自己中心的な存在かのように見えていた。しかし、今彼らは別人になったかのように、一丸となって国を守ろうとしている。若い世代の言葉で言うと、日本人は完全に「キャラ」を変えたかのようだ。

そして、奇妙なことだが、日本人は日本人であることに誇りを持ち始めた。もちろん、ナショナリズムと容易につながってしまうであろうこのキャラを不快に思うことにも議論の余地はある。すでにウェブ上ではそのような懸念も見かける。しかしそうであっても、僕はこの現象に一縷の希望の光を見出している。】

彼はどうやら、日本人が「一丸となって国を守ろうとしている」ことに「希望の光を見出している」らしいのですが、「このキャラを不快に思う」も何も、この気鋭の論客はいったいどこを見ているのだろうと、私は不思議に思ってしまうのです。

今回の大災害に対しては、私の乏しい情報だけからいっても、世界の多くの国々から救援隊が即座に駆けつけているし、この文章が書かれたのは地震後6日目らしいけれど、その時点でもすでに多くの義援金が寄せられ、またそうした活動が始まっていたはずです。

こちらでも、台湾の富豪が巨額の寄付をし、北京の日本領事館に設営された募金箱には一般市民から次々と義援金が寄せられています。事あれば“反日スローガン”で埋め尽くされるネット上のサイトも、今回は「日本人ガンバレ」「日本人の底力を信じているぞ」といった書き込みに入れ替わりました。つい先日は、北京で“チャリィティーロックコンサート”も開催されたそうです。

今日のニュースではありますが、四川省からも“恩義を返したい”と義援金が寄せられ、北朝鮮からさえも、日本赤十字社に送金されたそうです。

そして、日本から遠く離れたこの黄土高原の、“貧しい”僻村ですら、村人たちは私の顔を見るたびに、たいへんだったねぇ、がんばってね、と声をかけてくれます。

ややオーバーな言い方をすれば、いまや“世界が一丸となって”今回の災害に支援の手を差し伸べ、心温まるメッセージを発信し続けているのです。

なぜ、日本人だけが“一丸”とならなければならないのでしょうか?

【しかし、日本人はこの大災害の経験を、新たな信頼によって強固に結ばれた社会を建て直す、そのきっかけにできるかもしれない。多くは優柔不断な自分へと戻っていくだろうが、有害なシニシズムの中で麻痺していた、自分の中の公共精神や愛国的な自分を発見した経験は色褪せることは無いだろう。】

この未曾有の大災害から復興する力を日本人は持っていると私もまた信じています。「新たな信頼によって強固に結ばれた社会を立て直す」きっかけになることを希望しています。「愛国的な自分を発見」する若者も多いことでしょう。

しかし同時に、忘れてはならない過去と、私は今も隣り合わせの地に暮らしています。すでに5年と10ヶ月、この僻村で多くの老人たちから過去の記憶を聞き取ってきました。300人を超える彼らの話から浮かび上がってくる世界は、まさしく、日本人が“一丸となって”略奪、強姦、放火、殺戮の限りを尽くしたという過去です。

敗戦以降とは別人のように「日本人はキャラを変えた」と分析しているこの若手の論客は、もうひとつ前、彼の祖父母の時代にまでさかのぼって、もう一度“日本人のキャラ”を問い直してほしいと思います。

(3月24日)