“我先に”文化

(東電のずさんさ、政府の対応の遅さ、何よりすでに日々被爆しつつ作業に取り組む最先端作業員のことを考えると気が滅入ってきて、こんなことアップするのも心がとがめるのですが‥‥)

ニュースの中で、「被災地で冷静に秩序を守って救援を待つ日本人」の姿が賞賛の的となっているという記事をたびたび見ました。これは私も実感を持って「日本人というのは、なんと穏やかで忍耐強く礼儀をわきまえた」人たちなんだろうと思います。

こちらにいるともうもう、“並ぶ”という文化がないから、バスに乗るのも切符を買うのもマックで注文するのすら、当たり前のように“我先に”状況になるので、慣れない頃は私もしばしば泣きました。しかし、人間どんな環境でもやがては順応するもので、最近は以前のようにおとなしくのんびり順番を待たなくなりました。いつまでも“日本人”してたらトイレにも入れないからです。被災地に救援物資など運ばれようものなら、この“我先に”文化が極致に達し、暴動まがいの状況になるのは誰しも自覚していて、「日本人は‥‥」と感嘆の声すらあがるのも当然のことだと思います。

しかしこの“文化”も、ここ最近は著しく“改善”が見られるようになって、切符売り場などはがっちりと金属製のポールで囲いをするようになったので、さすがに並ぶようになりました。離石に新しくできた外部切符販売所には、春節の時期は警官が2人出て、入り口で厳しく入場制限をかけていました。町には信号機もぼちぼち増えてきたのですが、つい先日は旗を持った「志愿者」(ボランティア)たちが「おい、こらっ!」と交通整理をしていました。それでないと、まったくといっていいほど歩行者は信号を守りません。というか、それがどういう意味を持つものかすら、あまり考えようとはしません。

で、話は前に戻るのですが、私が思うに、日本人は自分たちの国や政府というものを、根底では信頼しているのだと思います。おとなしく待っていれば救援隊はいつかやって来るし、救援物資も必ずみんなの手に渡るだろう、と。

そこへいくと中国人(あくまで私が経験上知る限りの中国人)は、けっきょくのところ国も政府もあまり信用していない。とりわけ私が現在暮らす、大都市から遠く離れた農村部では、自分のことは自分で、自分の暮らしは自分で、自分の命は自分で守る‥‥という“文化”が徹底していて、それが“我先に”に繋がってゆくのだと思っています。

大局的に考えてみれば、歴史的にも日本は穏やかな国でした。戦乱も飢饉も災害もあったけれども、その都度みなで励まし合い助け合って復興できるだけの、穏やかな気候、肥えた国土、適度の人口、海があり山があり川がある美しい風土があったと思います。

この国のことを顧みるならば、現人口の90%を超える漢民族にとって、清朝元朝も多民族による侵略国家だったし、この地の農民たちの直近の歴史をたどってみれば、旧軍(閻錫山)が来て、日本軍が来て、国民党が来て、解放軍が来て‥‥大躍進があり、文革があり‥‥。その上に夏は40℃、冬は−20℃、雨が降らなければ作物は立ち枯れ、大雨が降れば道路は寸断、農地は流失‥‥。

という環境を生き抜いてきた人たちにとってみれば、「冷静に秩序を守って救援を待つ」などというDNAが培われることはなく、またそれが“不幸”であったともいえないと思います。ほんとうに危機がやって来た時、農民たちは救援隊を待たずに自力で脱出を試みることでしょう。

彼らになぜ日本人は秩序を守れるのか?直接感想を聞いてみたら、「そりゃあ、日本は豊かだから」という、しごくまっとうな返事が返って来ました。

(3月26日)