コンポン・プルック

私がバイクにはねられた時に親身になって面倒をみてくれた、ホテルのマネージャーのセイハーとは、今もときどきメールのやり取りをしています。英語のやり取りなんてほんとうに何十年ぶりかなので、辞書引き引きやってます。その彼からついおととい、シェムリアップは大雨が続いてあちこちで洪水になっているというメールが来ました。

それで改めて思い出したのが、トンレサップ湖の畔に位置する、コンポン・プルックという村です。街中の旅行社で、半日コースで手ごろなツアーがあったので、何の予備知識もなく参加を申し込んだのですが、いろいろ考えさせられることの多い村でした。


シェムリアップでは実にさまざまなツアーが企画されているのですが、ありがたいことに、ほぼすべてのツアーが“送迎付き”で、泊まっているホテルまで迎えに来てくれます。それで、あちこちのホテルで客を拾って、船着き場まで1時間ほど。欧米系、南アジア系、韓国・中国人と国際色豊かで、ここからボートに乗り換えます。ちなみに、日本人というのは、別建ての観光バスを使うのでしょうか、シェムリ滞在中一度も“同席”したことはありませんでした。



ボートはマングローブの林の間を通って、北上(南下?どっちだろう?)します。このトンレサップ湖というのは、雨季と乾季で水の量がまったく異なっていて、雨季には何倍(検索ができるようになったら、正確な数値を入れます)かに膨れ上がるそうで、私が行った時は、雨季の初めの方でした。



これは、ボートの中から見た、コンポン・プルック村。村人たちは、トンレサップ湖で獲れる魚を売って生計をたてています。つまり漁村です。この湖に棲む魚の種類の多さは世界一だとか聞きました。


しばらく湖面を走ってから、ボートは村に上陸します。建物の向こう側は湖面です。みな漁に出ているからでしょう、村は閑散としていましたが、小さな子どもたちは裸足で駆け回っていました。


上陸するといっても、村自身には特に見る物があるわけではなく、フツウの(というか、貧しい)漁民たちの生活圏です。若い人たちは屈託なく子どもたちと自撮りなどしていましたが、こういう状況は、どうしても私は引っかかってしまうのです。私たちは否応なく“観光客目線”にならざるを得ないし、私自身、時にその“貧しさ”を被写体として求めてしまうようなところがないとはいえないからです。プロ、アマを問わず、カメラという強力な“武器”を持ってしまうと、人の心は傲慢になってしまうのではないかと思っています。もちろん、それを乗り越えて素晴らしい写真を撮る人はたくさんいるし、1枚の写真が世界を感動させることはありますが、どうも私のような“小心者”には、カメラを持つ手を引かせてしまうことがままあるのです。



村の中に小さな商店を営んでいる家が2,3軒ありました。


カンボジアは犬が多いです。比較的大型で短毛の、いかにも雑種犬がほとんど。みな自由気ままな暮らしぶりで、日本のペットとはまた違いますが、大切にされているのがわかります。


あいにくの天気でしたが、これがトンレサップ湖。もう遥かな海原です。


実は、上陸した地点に小学校がありました。授業はない時間帯で、教室の中に子どもたちの姿は見られませんでしたが、校舎のすぐ傍らではたくさんの子どもたちがサッカーの真似事やゴム飛びをして遊んでいました。ぼんやり見ていると、身なりも雰囲気もいかにも“先生”といった感じの若い女性が近づいて来て、子どもたちのためにノートや鉛筆を買ってくれないかというのです。

一瞬奇異に感じましたが、フツウの物売りとは違って流暢な英語を話し、おしつけがましさもありませんでした。私は2塊の鉛筆の束を買って、すでに様子を見て集まって来た子どもたちに配ろうとすると、その女性は、子どもたちに直接あげないで、校舎の中にいる先生にあげてくれというのです。なるほど、そうやってなるべくみんなに行き渡るように配った方がいいかも知れないと私は思って、階段を上って職員室らしき部屋に向かいました。そこには男性がひとりいたのですが、やはり先生らしい、きちんとした身なりの人でした。私は彼に鉛筆の束を渡したのですが、チラと片隅を見ると、そこには鉛筆やノートがごっそりと積み上げられていたのです。

私が渡した鉛筆の束は、直接子どもたちの元に行くのではなく、恐らくは“先生”たちの手によって再び三度、世界中からやって来る観光客に売られるのでしょう。私は、彼らはニセモノではなく、ほんとうに先生だったと思います。ただ、そうやって現金に替え、そのお金がどのように使われるのかはわかりません。それが子どもたちの教育のために使われるのなら、どんな方法であってもかまわないと思います。個人的にいえば、“慈善家”のような顔をして、子どもたちにモノを配るのは好きではありません。すっきりしないものが残りましたが、先生たちの熱意と善意を信じて、湖畔に建つ小さな学校をあとにしました。


この問題になぜそんなにこだわるかというと、11月の学校ツアーの時に、生徒たちを連れて、この村に行くことを予定しているからです。ウチの学校には、支援やボランティアということに関心が強い生徒が多く、将来の進路として福祉をめざす子がものすごく多いのです。それには理由があるのですが、長くなるので割愛します。

現代っ子の生徒たちにとっては、おそらくこれまでに見たことがない“貧しい”村です。裸足の子どもたちが寄って来て、“Give me one dollar.”と手を差し出したら、心優しい生徒たちは果たして1ドルをあげるのかどうか?そしてそれは“支援”になるのかどうか?ということを考える場になってほしいと思っています。