観光立国−クメールの王の遺産

シェムリアップに来てすでに13日目です。けっきょくほとんどホテルにいたのですが、それでも、アンコールワット、バイヨン、タプロームトンレサップ湖だけは、ツアーバスで駆け足で見てきました。近くにある数カ所のパゴダと国立博物館にも行きました。身体の方は、ほぼ正常に戻った感じですが、ちょっと動くたびにめまいがするので、外出はひかえて部屋でじっとしています。即断即決の人ですが、腹をくくるのも速いので、とうぶんはここで“避暑暮らし”します。Panasonicのクーラーが適度に効き、ホテルの人も何かと気を使ってくれるので、とても快適です。というわけで、私が自分の目で見たものは決して多くないのですが、その範囲内で、シェムリアップの様子をお知らせします。

予想はしていましたが、シェムリアップの“観光地化”にはすさまじいものがあります。なにしろ、“生涯に一度は行ってみたい世界遺産”のトップにあげられるという、アンコールワット観光の基地の町ですからそれも当然でしょう。中心部のオールドマーケットは、地元の人の日常的な商品よりはむしろ、観光客向けの土産物を扱う店に徐々に浸食されている感じで、道行く人々のほとんどすべてが“外国人観光客”です。やはりヨーロッパ系の若い人たちが主流ですが、国別にいうならここでもトップは中国人。遠目には日本人かしら?と思っても、近づいて聞こえてくるのは中国語か韓国語。私が見た限り、日本人は少数派だったのです。それと今回思ったことは、日本人と中国、韓国の人たちと服装がほとんど変わらなくなっていることです。特に若い女性など、話しかけてみないと区別がつきません。

パブストリートというメインコーナーには、びっしりとレストラン、カフェ、土産物屋、マッサージ店などが並び、しかもみなとてもおしゃれで、アジアというよりは、むしろ南欧的な雰囲気というか、宗主国の名残というか、まああまり私好みではありませんが、どこも賑わっていました。屋台もずらりと軒を並べ、しかしこれまた、ワッフルとかスムージーとかクレープとか、土着感からはちょっと遠いかなぁという雰囲気。私は夜は行ったことがありませんが、深夜0時を回る時間帯まで若い人たちで賑わうようです。

もうひとつこの界隈に軒を並べるのが、中小規模の旅行社。アンコール遺跡というのは、アンコールワット、アンコールトム以外にも、あちこちに大小の遺跡群が散在しているようで、それらを好みに応じて廻れるように、実に様々なコースが設定されているのです。とても1日では廻れず、統一された入場券も1日券、3日券、7日券と3種類あります。遺跡以外にも、トンレサップ湖へ行ったり、カンボジア料理を自分たちで作って食べるという企画や、象が棲む森に行って象と遊ぶ、なんてコースもありました。これにもちろん、夜の伝統芸能ショーなどが加わります。

今は雨期で、観光シーズンとしてはオフに入るのだそうですが、それでももうどこに行っても人人人の波で、これがオンになったらいったいどうなるのだろう?神々やアプサラなど人の波にもまれて遠く霞んでしまうのではないかと心配になるのですが、私はフト、この地の観光収入は、いったいカンボジアの全国家収入の何%を占めているのだろうと考えてしまいました。当地で流通しているのはほぼ米ドルといってよく、1ドル以下の買い物をすると、おつりでようやくカンボジア通貨のリエルを手にするのみです。遺跡の入場料や各種ツアー料金はもちろんのこと、土産物屋の商品、屋台の飲み物、おばちゃんたちが売りに来るスカーフやセンス、小山のように積まれたココナツの実もすべてドルです。ほんの時々ですが、小さな子どもが“Give me one dollar!”と、手を差し出したりします。(ちなみに、学校に行かなくなるので、こういう子どもたちにモノや金をあげないでくれ。気持ちがあったら公共の基金の方にカンパしてほしい、ということなどを書いた公共のビラがホテルなどに置いてありました。)

そして全体をよく見渡してみると、何から何までドルを使って観光産業に携わっている人々を、政府が篤く保護しているのがわかります。例えば、空港から街中までは一直線で8キロほど、リムジンバスを走らせてくれたらほんとうに便利なのですが、リムジンはありません。トゥクトゥクかTAXIです。遺跡群を廻るにも、ルートバスを走らせてくれたら、便利で安上がりで自由が効くのですが、そうすれば彼らの仕事を奪ってしまいます。ツアーバストゥクトゥクを使うしかないのです。遺跡の中を案内するガイドも、政府が任命した黄色い制服を着た人しか許されておらず、例えば中国から一緒にやって来た、中国人ガイドが説明することはできないのです。

私が乗った遺跡を廻るツアーの英語ガイドに聞いたのですが、ガイドは全体で2万人ほど、ほぼ世界中の言語に対応できるそうです。広大な遺跡のあちこちに配備された監視人(?)の数がまた膨大な数にのぼり、掃除をしている人もしかり、切符売り場だけでもかなりの人が働いています。遺跡の中や近辺で商売をしている人の数もはんぱではありません。彼らの提示する価格は、何をとっても決して安いものではなく、全国レベルで見るならば、かなりの高収入が約束されていると考えられます。

その上にホテルです。まるで王宮のような高級リゾートホテルからゲストハウス、YHまで、いったい何軒あるのか見当もつかないくらいです。この宿泊施設が生み出す雇用の数も膨大なものでしょう。経済学に詳しい人なら、この町からきっといろいろ興味深いデータを算出することができると思います。

ただし、私も当初はあまりの人の多さにうんざり感はぬぐえなかったし、ネオンで彩られたパブストリートなどに足を運ぶことはありませんでしたが、これだけ多くのカンボジアの人たちが、政府の観光政策のおかげでそれなりの収入を得ているのは間違いないでしょう。2016年のひとりあたり名目GDPが、カンボジアはアジアで下から2番目の1,229ドル、日本は32,479ドル、世界一位のルクセンブルグは102,717ドルのようですが、他に有力な資源のないカンボジアが、“観光”という資源で少しづつ豊かになってゆけるのだとしたら、それもまた正当な経済発展の在り方のひとつでしょう。

世界から孤立した状況で闘われた30年にわたる内戦とポルポト政権下の暗黒時代のもと、国土は荒廃し、インフラは破壊され、人材すら絶滅させられたこの国に、古代クメールの王たちが残した最大で最期の遺産を、クメールの民たちが(できることなら等しく)享受して豊かになっていってほしいと、人波に囲まれた“クメールの微笑み”像を見上げながら、私は思ったのです。