“アンコールに死す”

私はタタミの上では死ねない、いわゆる客死という、ちょっと“カッコいい死に方”をするだろうと、ずいぶん昔からずっと思っていました。で、実際にそうなってしまいそうな事態にも何度か遭遇しているのですが、今回またやらかしてしまいました。

明日には中国に戻るという前日の夕方、ホテルの近くに日本人が経営する旅行社があることがわかったので、11月の情報を得るために出かけました。直前まで激しいスコールがあり、もう上がりそうなパラパラ雨の中を傘をさして出かけました。ホテルの前の道は、住居と、小さな商店や食堂などが混在する、極々フツーの道路で、交通量もさして多くはありません。下がぬかるんでいるので、多分私は下を見ながら歩いていたのでしょう、記憶しているのは突然目の前に人間の顔が出現したことだけで、その後の記憶はありません。

しかし、完全に気を失っていたのは短い時間だけで、私は何人かの人に担がれて何かに乗せられ、病院のベッドの上まで来て、ほぼ意識を取り戻しました。どうやらオートバイにはねられたようです。どこかが痛いということもなく、血が出ている感じもありませんでした。ただ身体がものすごく寒くて、毛布をくれといったのですが、なかなか言葉が通じません。寝かされていたスチール製のベッドには、マットも枕も何もない、野戦病院もかくあらんといった設備だったのです。

そのうちにドクターらしき人がやってきて、いまは満員でベッドのアキがないので、他に行ってくれというのです。首が自由に動かせない状態だったので、十分にはわからなかったのですが、私が寝かされた廊下から見える病室の中は、病人と関係者でびっしりすしづめで、私の目の位置を頻繁に行き来する人たちも、見るからに豊かさとは縁のなさそうな粗末な身なりに不安そうな表情を浮かべ、寝かされている私に関心を示すようでもありませんでした。

他に行ってくれといわれても、いったいどうしたらいいのだろう、と思考回路もままならぬ状況の私にとって、まさに“地獄に佛”のような青年がそのとき飛び込んで来たのです。これは後になって知ったことですが、泊まっていたBopha Pollen Hotel のマネージャーで(つまり、私がどこに泊まっているか言えた、ということですね)、それからずっと深夜まで、まるで親族ででもあるかのように、ぴったりと付き添ってくれたのです。彼がいなければいったいどうなっていたことやら。。。

頭を強打していることははっきりしているので、やはりその対応ができる所がいいだろうということで、シェムリアップで一番立派だという、Royal Angkor International Hospital へ行くことになりました。すでに意識ははっきりしているし、吐き気もしびれもないので、大丈夫だろうということで、救急車ではなく、トゥクトゥクという当地の乗り物移動です。これはオートバイにリヤカーを改造したような荷台を付けたもので、こちらでは最も一般的な交通手段です。シートはちゃんとしているのですが、揺れが激しいので、マネージャーが隣に座って、ずっと私を抱きかかえて新しい病院まで連れて行ってくれました。

そのInternational Hospitalはかなり立派なもので、おそらくはアンコールワットにやってくる、世界の観光客のためだけの病院でしょう。到着早々、「旅行保険には入っていますか?」と聞かれたのです。私はそんなものは入ったことがないし、持っている現金は多くなかったので、いくらくらいかかるのか聞いてみました。 すると、脳のCTを撮るのが400ドルくらい、しかしその結果に問題がなくても、1週間くらいは入院した方がいいので、だいたい1000ドルくらいかかるというのです。しかも、脳に異常が発見されても、ここでは手術はできないそうで、国賓待遇でもなければプノンペンまで空輸してくれるわけもなく、じゃ、アウトということでしょう。

私の手持ちは中国元を混ぜて400ドルくらいあったので、とにかくCTだけは撮って、その後の事はまた考えますと答えました。それでCTは撮りました。で、その結果が出るまでに2時間以上かかるから、その間にホテルに帰ってお金を取って来てほしいというのです。これには驚きました。いくら意識ははっきりしているとはいえ、CTを撮るくらいの患者で、しかも付き添いもいない(マネージャーはこの頃には帰っていた)老人にです。ああ、貧乏人というのは辛いものだなぁとしみじみ思いましたが、仕方なく病院の車に乗せられてホテルまで戻り、万万が一の事も考えて荷物を少し整理して、また病院に戻りました。


それから、治療室のベッドに寝かされて2時間、多分大丈夫だとは思うけれど、それでも完全に危険が去ったわけでもない。もしかしたら、このアンコールで最期を迎えるということもあり得るだろう。おとといは、ようやくにしてバイヨンに行って、“クメールの微笑み”にも会って来たし、好きなことだけやってきた人生だから、思い残すこともないかなぁとか、なつはどうしてるかなぁとか、あれやこれやぼんやり考えていると、ついウトウトと眠りの境地に入るのですが、いやここで眠ってしまってはもう二度と目覚めないかもしれない、と何か最後に言い残すことはないのかと思っても、患者は私ひとりで、だーれもやって来ない。そのうちに急に胃の辺りが気持ち悪くなってきて、もしやと思ったけれど、その頃はすでに0時を過ぎていて、考えてみれば昼から何も食べていない。それでバッグに入れてあったお菓子をボリボリ食べながら、きっと私は今回もしぶとく生き残るだろうと、心の中でにんまりとしたのです。


その後にドクターがやって来て、結果は問題なかったから、ホテルに帰ってよろしい、というのです。最初は、結果がよくても1週間は入院した方がいいといっていたのに。病院にいれば安心ではあるけれど、急変してもどうせ手術ができないんだったら、どこにいても同じわけで、私はホテルに帰ることにしました。午前2時前でした。支払いは235ドル。最初は400ドルといっていたはずですが、実際には、ほんとうにあっという間で、きっと2枚くらいしか撮ってないんじゃないかと思います。日本でやったときは、もっとずっと時間がかかりました。私が金持ちでないことがわかって手抜きで、入院もことわるつもりだったと思います。ほんとうに医療の世界はいずこも同じですね。中国でも、診療を受ける場合は、先にデポジットを払ってからでないと受けられません。もちろん、いずこにもそうじゃない人はたくさんいますが。

という顛末で、2日間はずっと寝たきりで、心配したマネージャーが時々電話をくれたり、おかゆを持って来てくれたりしました。今日になってようやくシャンとしたかなという感じですが、まだ頭を動かすたびにめまいがするというか、虚血状態になるみたいで、無理をしないでもうしばらくこのホテルで“療養”です。