ネコレス





一日中こうやって遊んでます。“リング”となっているのは、石製の「飼葉桶」です。昔は多分耕作牛を飼っていたんでしょうね、今もアチコチの家に残っています。「日本人は、牛と鶏をみんな持って行って食べた。」という話はどの村に行ってもイヤというほど聞かされましたから。馬というのはほとんど聞かなかったです。

ちなみに、磧口の李家山界隈に行くと駱駝を飼っていました。残っている石の飼葉桶は、もっとずっと大きなものです。磧口に荷揚げされた黄河上流からの荷を、駱駝で北京などの海岸部まで輸送していたようです。山道なので牛馬より駱駝の方が使い勝手が良かったのでしょう。駱駝は暑さが苦手なので、移動はもっぱら夜。月の砂漠ならぬ、月の高原をはるばると列を成して渡って行ったのでしょう、光景が目に浮かびます。李家山村というのは、磧口に隣接した山の上の村(麓の黄河辺りまで広がっている)で、今も立派なヤオトン建築が残っていて、観光名所になっていますが、この村は、輸送用の駱駝の飼育で財を成した村です。