高家溝(gao jia gou)

きのうは高家溝という村に行ってきました。離石とは反対方向の三交鎮に所属します。取材時に撮影した映像のDVDを渡すためです。この村では5人の老人から話を聞きましたが、1番若い人で79歳、最高齢者は、なんと101歳でした。この中の薛世榮という人が、牛駝寨戦役に通信兵として参加していたといっていたので、もし存命中ならば、残留日本兵のことを知っているかどうか、もう一度話を聞こうと思ったのです。

村に入るところに、橋が崩れて工事中なので、車両は通行禁止と出ていました。つまり徒歩なら可能ということで、シーピンの車をそこで下してもらって歩き始めましたが、すっかり面影が変わって思い出すことができません。それで途中にあった工場の受付で事情を話すと、きさくなおっさんが送ってやるよと、バイクを出してきました。それで廟のところ、つまり村の中心部の所まで来て、ようやく思い出しました。廟の裏側の家が101歳の薛継清老人の家で、見覚えのある息子さんが出てきました。老人は103歳で亡くなったそうです。もちろんこの界隈では記録更新者だと思います。取材した時は、足腰もしっかりしていて、記憶の方もかなり鮮明で、こんな風に長生きできれば最高だと思ったものでした。


その廟の前で道が崩れたようで、ちょうど10人ほどの村人が昼の休憩中でした。もちろん初対面の人たちです。目の前にKOMATSUのブルが停まっていたので、「日本のモノはやっぱりいいでしょう?」というところから会話を始めて、残りの人々の消息を訊ねましたが、もしかしたらと予測した通り、全員がすでに亡くなっていました。それもそのはず、実に10年ぶりの再訪だったのです。事情を知った村人はいろいろ協力してくれたのですが、こういうのは、村によって、その時のタイミングによって、実にいろいろです。幸いにしてこの村はとても“親日的”で、昼ご飯の麺まで出ました。


村長さんの家人が出してくれたこの麺はとてもおいしかったです。麺の上に、いんげんとニンニクの茎とじゃがいもを炒めたものがかけてあるのですが、これがこちらの基本です。日本のようにスープがある湯麵というのは滅多に食べません。麺とおかずが別々に出るということもなく、どんぶり麺です。これをみな外で、近所の人たちとおしゃべりしながら食べるのです。テーブルの上でという習慣がないのです。だいたい門の外にそれらしき石や木材なんかが置いてあって、そこに座って、あるいは立ったままという人も多いです。

その後、お礼に日本の飴をみんなにひとつずつ配り、薛老人の息子さんにバイクでバス道まで送ってもらいました。途中で彼が、中国と朝鮮は戦争になるかもしれないといっていましたが、メディアは煽っているということですね、それで日本人の私に風当たりが弱かったのかも知れません。

その後、バスで林家坪というところに行ってシャワーを浴び、そこからまた招賢までバスに乗り、その後村まで歩いて帰りました。今日は20000歩ちょっとでしたが、我ながらほんとうによく歩いていますね。しかも昨日も今日も、まったくじりじり焼けつく暑さで、今さっき測ってみたら、私のデジタル時計に付いている温度計は、計器がブチ壊れて、118℃を表示していました。

下の六文銭さんのご質問ですが、グーグルで確認できる色付きの屋根というのは、最近はやりのトタン屋根です。ヤオトンには大きく分けて、洞窟のように掘りぬくものと、平地あるいは半平地に建てるものとがあります。洞窟型のヤオトンは外気の影響を受けづらく、冬暖かく夏涼しいヤオトンの基本ですが、これは掘りぬく作業が大変なのと、湿気をとるために、造作まで1年以上放置しなければならないので面倒です。




1枚目の写真は洞窟型で、屋根というものが(ほぼ)ありません。これが主流ではあります。それに対して建築型のヤオトンは屋根が露出するために外気の影響を受けて、特に夏場の室温がけっこう高くなるのです。それと、雨で土が崩れて(保温のために屋根に土を敷くので)雨漏りがしやすくなります。この2点を防御するために、このトタン屋根を上から被せるのです。ここ2,3年前から目に付くようになりました。我々外部のモノにとっては、“景観上”あまり歓迎したくないのですが、村人にとってはたしかに利点が大きいので、これからもどんどん増えてゆくのではないかと思います。ヤオトンがなくなってきたということではありません。