牛駝寨烈士陵園

window8に対応するデバイスを求めて太原までやって来ました。IT街といわれるところに行って探したのですが、そんな古いものはもうないと笑われる始末。そもそもが一般化しなかったものなので、きれいさっぱり姿を消したようです。それにしても、中国人の“新しいモノ好き”、というのも日本人をしのぎ、すでにPCの時代は終焉したかのようです。

もうあきらめて、前々から行きたいと思っていた、牛駝寨の要塞跡に行って見ることにしました。これにまた驚かされたのですが、どうやって行ったらいいのか、若い人は誰も知らない。太原戦役は、第二次国共内戦の中でも犠牲者の数と熾烈さにおいて最大級といわれていて、牛駝寨烈士陵園は、太原人にとって最も重要な慰霊の場であるにも関わらずです。

牛駝寨要塞は日本軍が建造したモノを閻錫山が補強して、難攻不落の城郭ともなっていたところです。そこに「太原解放紀念館」が併設されていて、当時の写真が500枚ほど展示してあると聞いたので、それを見たかったのです。

太原駅まで行って、バス停の案内員に聞いて、言われた通りに乗ったのですが、これがまた違っていて、途中で2回も乗り換え、そして最後に乗った運転手からは、「あそこへは交通手段がないので行けない」といわれる始末。TAXIで行くからと一番近い所で下してもらったけれど、空車が見つからない。歩くつもりで、年寄りを捉まえて聞いても、「とんでもない、とても遠くて歩くことなどできない」とさんざん言われて、それでも果敢に歩きだしたら、何のことはない、1時間ほどで着きました。普段、招賢から村へ帰る道よりもずっとずっと楽な舗装された道です。



12時半ころに着いたら、入り口で2時半まで昼休みだと言われて、2時間待ちました。実際に紀念館の扉が開いたのは3時過ぎでした。すべからく予想されたことで、それでも開いていただけマシです。中華人民共和国建国のための、最後のヤマ場のひとつを紀念する施設が、アクセスもなく、管理もルーズで、731や南京と比べて、いかに“軽んじられ”ているか、“なるほどね”といった感じです。


ところが、それほどまでして入った紀念館でしたが、内容はおそまつ極まりないものだったのです。たしかに当時の写真が数十枚ありましたが、キャプションがほんの1行程度で、詳しい背景の説明がいっさいなく、いったい何を紀念したいのかもわからないのです。


実は、私が一番期待していたのは、もしかしたら“残留日本兵”に関する写真や資料が展示されているのではないか?というものでしたが、そもそも資料的な展示はいっさいなく、ただ1枚だけこの写真がありました。岩田清一は、日本兵残留を画策した中心人物のひとりといわれています。以前、中国で出版された本の中で、捕虜となった日本兵の写真を何枚か見ているので、他にもいろいろあるはずですが、何も展示はありませんでした。


個人名が判明している墓が700基ほどあり、他に無名烈士の墓が3基ほどありました。もちろんこれらは解放軍兵士(共産党)の墓で、数万ともいわれる閻錫山側(国民党)の死者の遺体はいったいどうなったのか、そして、閻錫山の兵として戦って死亡した日本兵の遺体はどこに葬られているのか?中国には、日本のように敵味方を共に慰霊するといった習慣はありません。おそらくは、私が今立っているこの高台のどこかに大きな穴をいくつか掘って、そこに埋められているのではないかと思います。


何かを聞こうとしても、“学芸員”というのがいなくて、警備の人とか、陵の管理をしている庭師のおっさんたちばかりで、私は不消化ながらも帰ることにしました。ここには要塞の遺構は何一つ残っておらず、正門前に作られた「凱旋門」と呼ばれるアーチ越しに、当時の地形のみは偲ぶことができます。



陵園を出てすぐ目の前で、大規模なマンション建設工事が始まったところでした。高台にある、とても見晴らしのよいところです。明日の太原を担う、若いファミリーが、希望に燃えて入居して来ることでしょう。ちなみにこの壁の写真、どう見ても日本ですよね。柴犬?



その後、ホテルに戻る前に、紀念館の写真にあった道筋を通ってみました。橋頭街は古くからある商店街で、今も、酢(こちらは黒酢)を醸造する大きな老舗があり、いつ通っても酢の匂いがプンプン漂う街です。





柳巷は、若者の街で、ファッショナブルな店が軒を連ねます。歩きスマホしながら街を歩く若者の姿も日本と変わりません。MINISOUという店は、上海でも見ましたが、日本人デザイナーのブランドだそうです。店内の商品はほとんどが日本語併記されていて、いわゆる“ファンシーショップ”というんでしょうか、ムーミンがたくさんいました。“牛駝寨要塞”のことをちょっと聞いてみたい誘惑にかられましたが、やっぱり止めて、歩いてホテルに戻りました。今日は30000歩くらい歩いたと思います。