柳林にて

柳林というのは、離石の西隣の市で、それほど大きな町ではないのですが、山西から陝西に抜ける大きな橋が架かっていて、鉄道も通っているので、ものすごく交通量の多い町です。勢い、大気汚染もかなり進んだところです。私は何度も何度も通り過ぎていますが、実際に街中に降り立ったのは実は初めてです。

この町は、直接黄河に面してはいませんが、黄河を挟んで陝西省八路軍と対決するために、日本軍が大きな要塞を建設した要衝でもあります。今回街をぶらぶらしたのは、メインストリートに沿ってほんの1,2時間ほどでしたから、特に何か目に付いたものもありませんでしたが、離石よりはずっと田舎で、年寄りが多い町でした。離石は、街路で見かける人たちの平均年齢はずっと若いです。



路地に入るとこんな感じで、正月飾りもまだ色あせていませんでした。


文化広場で見た、3元床屋。昔取った杵柄でしょうね、なかなか鮮やかな手つきでした。3元(50円しない)は安いっ!


人口が多いですから、どこに行っても葬儀に出会う確率は高いです。都市部では、最近はこうやって車を使うところが多くなっています。村の方ではもちろんすべて徒歩です。



遺影車のあとに花輪と飾り物を積んだ車が2台続き、その後ろには、写真のような“道化”が6人とその後ろに楽隊。次いで、遺族の列(後ろの楽隊は、女性方、つまり故人の親族が呼んだもの。前の楽隊がメインで男性方が呼んだもの)が続きます。

この“道化”のグループは、離石の結婚式では見たことがあるのですが、葬儀では初めて見ました。村の方では葬儀でも結婚式でも呼びません。まず第一にお金がかかりますから。



「出祭」と呼ばれるパレード(?)が終わって、祭壇が設けられた団地の広場に戻ると、そこでひとしきり、道化たちが現れ出でてはおもしろおかしく身体をくねらせて、ドンチャカブンチャカやるのです。

観客も笑いながらそれを楽しみ、スマホで写真を撮ったりして、“哀悼の意”などまるで感じられないのですが、とにかくこちらの葬儀は、“ひとりでもたくさんの人に来てもらう”ことが親孝行の証なので、人が呼べる出し物が必要なのです。南の方のある地域では、ストリップが流行っていて、風紀上好ましくないと当局の通達があっても、なかなかなくならないそうです。

ところで、この葬儀の故人は62歳で亡くなったそうです。そんなに若くして亡くなった場合、村の方だとほんとうに質素に、ほとんど身内だけで弔うものですが、この派手さはこの地の風習なのか、親族たちの見栄がなせる業なのか、ちょっと理解に苦しみました。道化たちの踊りの裏側で、故人の娘さんでしょうか、激しく泣き崩れて立ち上がることもできなくっていましたが、あまりにも早い死なのだから、もっと静かに密やかに送ってあげればいいのに、と思うのは、日本人的な心情なのかもしれません。