何事もない日々

離石に来ています。このところまたまたブログの更新が滞っているのは、私がこれまで村で繋いでいたデバイスが壊れ、新しく買おうとしたら、もうそんな古い型はないといわれたからです。“古い型”といっても、window8に対応する型で、どこが古いのかと思うのですが、そもそもそういったデバイスを使っている人そのものが極少数派で、今はもうwindow10に対応するものしかないというのです。ところが、以前ものすごく調子が悪くて、起動すら不安がいっぱいだった私のレノボが、どういうわけか最近すこぶる調子がよくなって、新しいものに買い替える必要などさらさらないのです。

ということで、村では今ネットが繋げず、かわりにスマホの繋がりが突然よくなって、メールチェックくらいは十分にできるようになって、それで何とか凌いでいるのです。しかしネットが繋がらなくて、テレビ、ラジオや新聞や本もない所にいては、ほんとうにすることがなくて、畑もまだ早いし、この2週間ほど、ただただぼんやりと過ごしてしまいました。

それでここでお知らせするようなことも何もないのです。例の自転車転倒事件からは、ちょうど今日で1か月ですが、特に何事もありません。胃の調子はまあまあですが、そろそろ薬が切れるので、その後にどうなるかはわかりません。8種類飲んでいた薬が4種類に減りました。すべて食後なので、飲み忘れることはなくなりました。

村の方も特に変わりはありません。今の時期は、町に出た息子たちのところに行っている人も多く、普段にもまして静かです。4月3日の清明節の時には一斉に戻って来て、それから農作業の開始です。



チビなつの散歩だけは欠かしませんが、最近村の誰かが畑に農薬を撒いたらしく、犬もネコもたくさん死んだそうです。縛っておかなきゃダメよ、といわれても、24時間私が管理しているわけではなく、しょっちゅう出てゆくのですが、今のところは無事、運を天に任せる他ありません。

一昨日、目の前を紅い布をかけた棺桶を積んだ三輪車が通って行ったので、誰が買ったんだろうと聞いてみると、前日にひとり亡くなったのだそうです。こちらでは、棺桶はずいぶん早い時期から用意するのが普通で、亡くなってから買うという人は、突然死を除いてまずいません。これは日本とは大いに違うところです。そもそも棺桶を外から見える位置に並べて売っている棺桶屋というのはないと思いますが、こちらではよく見える位置にいくつも陳列してあったりします。価格もピンキリで、材質と彫刻の彫り具合で変わるようです。日本と違ってものすごく分厚くて重いものです。

亡くなった人はずっと太原で暮らしていた人で、私は面識がありません。私と同年の男性のようですが、亡くなる数日前に村のもともとの自分の家に戻って来て、そこで亡くなったようです。遺体の移送は禁じられているので、故郷で土葬されるためには、とにかく息があるうちに帰り着かなければなりません。こういうことの顛末を、私はこの間何度も見てきました。何が何でも故郷の山に眠りたいという意識は、日本人には理解しがたいところがありますが、世界を縦軸で考える彼らにとって、親やその親やその親や……祖先たちと同じ大地に還ることが、人間の最後の在り方としてとても重要なことなのです。


これは今日通った、離石人民病院の正門前。左手前に並べて売っているものは爆竹です。なぜこんなところで爆竹を売っているかわかりますか?入院していた人が病を治して無事退院するときに、門の前で感謝の意をこめて爆竹を鳴らすのです。


こんな車が停まっていました。オートバイを改造した電気自動車のようです。ナンバープレートもなしで逆走してゆきましたが、こういうのって許されるみたいですね、しょっちゅう妙チクリンな車を見ますから。


「猿まわし」というのを、日本でも昔見た覚えがあります。こっちでは時々見ますが、なんだか動物虐待の観が強くて、かわいそう。。。

ということで、とりわけて何事もない静かな日々を送っていますが、私も無事に生きているというお知らせまで。