カンボジアの明日をめざして

私がプノンペンに行ったのには、もうひとつの目的がありました。10年ほど前にカンボジア人と結婚して、プノンペンで暮らしているKさんに会うためです。それほど親しく連絡を取り合う関係でもなかったので、実に20年ぶりの再会となります。


2日目の夜に、トゥクトゥクに乗って、探しに探してたどり着いたそこは、邸宅の1階と前庭を通しにした、洒落たカフェレストランになっていました。まずは冷たいビールで乾杯したのですが、ちょうど日本からお客さんが来ていたりして彼女はとても忙しく、ゆっくり“つもる話”などしている時間もなかったのですが、忙しさにもそれぞれ目的があり、イキイキと立ち働いている姿を見てまずは安心しました。彼女の店はプノンペン在住日本人の“溜まり場”となっており、しかもみな、カンボジアに対して熱い思いを共有している仲間たちのようです。

初めてお会いした連れ合いのVさんは、8歳の時から20年くらいを日本で暮らしていたというバイリンガルで、遠い異国で言葉や文化にも慣れずに、寂しい思いをしているのではないかという私の思いは、まったくの杞憂に終わりました。Vさんはすでに40代も半ばのはずですが、とにかく、話し出したらカンボジアに対する熱い思いが、どうしようもなくあふれ続けて留まるところを知らない“熱血青年”で、こんな“青年”と仲間たちに深く愛されて暮らしている彼女が、「カンボジアに根を下ろすつもりだ」というのはしごく当然のことのように思えました。


4日目にベトナム国境の村まで行ったというのは、実はKさんたちが取り組んでいる農業プロジェクトの現場を見るためでした。すでに4、5年前にスタートしたものですが、Vさんの故郷のプレイベン州の農地で、コメだけに頼らない新しい農業の道を探りつつ、農民の生活向上のために教育の問題も含めて、さまざまな角度から共に“農村再生”を計ろうというもののようです。対象となる農家は数百軒にも及ぶので、それほど容易なことではありませんが、現在は4台の日本製耕運機を購入し、それを農家に貸し出して、共に計画を進めるという段階にまで進んでいるようです。そして、その仕事を実際に任されているのは、現地のカンボジア人であり、そのまわりに若い人たちがたくさん集っているようでした。いわば、そのカンボジア人スタッフを“育てる”のが、これまでの彼らの重要な仕事だったようです。


日が暮れると、Kさんの店にはいろんな人が集まって来て、ビール片手に熱い夢と思いがこもごも語り明かされます。近郊ですでにトマト栽培を手掛けていて、プノンペンの日本料理店などに卸しているという21歳の青年もいれば、家族で移り住んで、孤児院で働いているという人もいました。日本では、この先土地も人手も得られないので、カンボジアに日本人向けのケアハウスを造りたいという構想を持ちこんできた女性もいました。また、プノンペンでIT関連の会社を立ち上げたという、某大手企業のラガーマンだった、見るからに頼もしい男性もいて、人材にはこと欠かないようです。


夢は大きく、先行きはまだまだ見通せないと思いますが、KさんとVさんを核にして、これだけの若い人たちが集い合って語り合える場が存在するということは、何物にも代えがたい希望のように思います。私たち“ベトナム反戦”世代にとって、何かと暗い後ろ向きのイメージに捉われがちなカンボジアの旅ではありましたが、その中で唯一明るい前向きな出来事が、Kさんとの再会でした。


Kさんたちのプランはまだまだ公にできる段階ではないそうなので、ここでペンを置きますが、いずれその時期が来たら、また詳しくお伝えできると思います。その日が早くやって来ることを願いつつ、私の“カンボジアの旅報告”はこれで終わりです。