プノンペン経済の不思議

S21に行った翌日、私はまったくの偶然から、“キリングフィールド”から奇跡の生還をされた、今年80歳になるBさんという方にお会いするチャンスに恵まれました。彼は1970年から、75年にプノンペンクメール・ルージュに追われるまで、日本の通信社で働いていたカンボジア人です。外国のメディア関係者が次々と帰国する中、最後までプノンペンに留まって命がけで情報を発信していた人で、生々しい彼の証言を編集した本もいただきました。そこで私は、あらためて自分の無知、無関心ぶりに落ち込み、カンボジアに来たことを後悔したくなったくらいでした。

そして、恐らくは、これをごらんになっているみなさんも、カンボジア内戦に関してはあまりご存じでないと思いますので、下にWikiのURLをあげておきます。ただしWikiはあくまで、個人の投稿から編纂されているウェブ上の百科事典です。

カンボジア内戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6

クメール・ルージュ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5

これを読むだけでも、いかに大国の政治力学にクメールの民が翻弄され、故郷を追われ、愛する人を殺害され、未来や希望すらも奪われていったか想像に難くないと思います。信じがたい大虐殺が進行しているさ中、いくら情報が不足していたとはいえ、様々に絡み合った利害関係の中で、世界はこぞって沈黙を通したのです。

クメール・ルージュプノンペンを制圧して、大虐殺が始まったのは、サイゴンの大統領官邸に南ベトナムの解放戦線が突入して、長かったベトナム戦争終結した、まったく同じ時期でした。73年に米軍がベトナムから撤退して後、『べ平連』(ベトナムに平和を!市民連合)は解散しましたが、“カ平連”を立ち上げようという話は、ついぞ耳にすることはありませんでした。


ここで自分自身の話に戻ります。私がプノンペンに到着した夜のことは、すでにここに書きました。華人経営のホテルに泊まり、華人経営のコンビニで、米ドルで買った、韓国産眞露と、日本産かっぱえびせんで第一夜を過ごしたという話です。結局プノンペンには6泊したのですが、意外だったのが物価の高さです。私は当初、カンボジアベトナムよりも物価は安いだろうと考えていました。



いま、ネット上でアジア諸国の2015年ひとりあたり名目GDPを探ってみると、日本は第4位で、32,478ドル。中国が10位で、8,140ドル。ベトナムは18位で、2,088ドル。カンボジアが最後から2番目の24位で、1,144ドルです。(1位はマカオ、最下位はネパール)。ところが、プノンペンでは、私が実際に感じる限り、ベトナムよりも高めだし、場合によっては中国並みなのです。トゥクトゥクというバイクTAXIをときどき利用しましたが、“外国人料金”とはいえ、ベトナムよりずっと高いのです。一度やや高級そうなベーカリーに入って、コーヒーを飲んで、菓子パンを4つ買いましたが、800円ほどとられてちょっと驚きました。初日に買ったかっぱえびせんも、0.9ドルでしたから100円くらいしたということです。路上の屋台の食べ物も、中国並みで、施設の入場料は、外貨獲得のために日本並みです。



なぜこんなに物価が高いかといえば、考えてみれば、商品のほとんどが輸入品だということがあげられます。とにかく、ちょっとしたスーパーの棚に並んでいる商品は、日本、韓国、中国、ベトナム産のものばかりで、どれがいったいカンボジア産なのだろうかと探してみてもさっぱり不明です。レジ袋がえらくいいものだなと思ったら、これもベトナム産なんだそうです。乗り物に至っては、Honda、Yamahaのバイクはもちろんのこと、ToyotaNissan、Ford、Hyondaiなどなど、もちろん国産車など何十年先になるのか。そしてなぜかレクサスがものすごく多いのです。みな中古車らしいのですが、それでも高級車です。いったい誰が乗っているのでしょうか?



それに対して、国境を跨ぐ経済というか、プノンペンからサイゴンに行く乗り心地のいい立派なバスは、10ドルと安いのです。つまりベトナム並みということになります。到着した日に、空港からホテルまで多分20キロなかったと思うのですが、TAXIは12ドルでした。

経済学に関してはまったく無知ですが、いったいなぜこんなにおかしな経済なんでしょう?都市、といっても、カンボジアにはアンコールワットがあるシェムリアップを除いては、プノンペン以外にはほぼ存在しないと思います。都市と農村の格差といった程度のモノではなく、プノンペンとそれ以外の地域では、まったく違う経済が流通していて、農村部ではいまだに自給自足、物々交換に近い経済構造なのでしょうか?
つづく