GA SAI GON


「GA SAI GON」、英語くらいしか外国語を知らない日本人としては、これをとりあえずは「ガー サイゴン」と読んでしまうのではないでしょうか?しかしベトナム語では「ヤー サイゴン」と発音します。日本人の発音で意味は十分に通じます。鉄道のサイゴン駅という意味です。

2日午後10時、私はヤーサイゴンから、ベトナム統一鉄道急行列車SE4という列車に乗ってハノイに向かいました。これがなかなか大変だったのです。上の写真は念のため前日に確認に行った時に撮ったものですが、2日当日は午後からずっと雨でした。荷物もあることだしTAXIで行こうとしたのですが、なかなかつかまりません。ようやく停まってくれたと思ったら、ヤーサイゴンまで20ドルだとふっかけて来たのです。荷物さえなければ歩いてだって行ける距離なので、私は追い払ってバスで行くことにしました。ところがバス停まで行く間がものすごい冠水で、もう完璧に水浸しの中をじゃぶじゃぶ歩き、それでもまだバスは走っていて乗ることができました。ところがこのバスはヤーサイゴンまでは行かず、かなり遠いところから歩かなければならないのです。私の泊まったホテルは、ベンタインという、サイゴンの最中心部ともいえる交通の要にあったのに、そこからヤーサイゴン行きのバスは出ないのです。これもまたヘンな話で、それだけ鉄道の利用者が少ないという意味なのでしょうか。しかも夜で雨が降っていたから、万一でも道を間違えたら乗り遅れると思って、道で出会う人出会う人に、「ヤー サイゴン?」「ヤー サイゴン?」と声をかけては駅に向ったのです。

しかし、サイゴン駅がなぜこんなに小さいのでしょう?つい最近、クアラルンプール中央駅の白亜の殿堂を見て来たばかりなので、よけいに合点がいきません。もしかして、ベトナム戦争で爆撃されて跡形もなくなったのでしょうか?私が普段使っている、最たる地方都市のJR松本駅の方が、外見は数倍立派ではありませんか?


しかもすぐ近くの売店にはワンコが6匹ものさばっていたんですよ。(裏側にあと2匹いた)


構内の売店では、こんな本が。全部で10種類くらいしか置いてなかったのですが。



待合室からホームに入ったところ。プラットホームは5本あるみたいです。私が乗るのは、1番ホームから。


サイゴン駅が終着駅であることがおわかりいただけると思います。



車両はバックで入って来ました。私が乗ったのは11号車で、一番後ろの車両でした。

私はこのチケットをチヤウドックを発つ前に購入しました。チヤウドックに鉄道駅はないので、旅行社を通したのですが、買うときに「コンパートメントではない寝台席を」と、3回も確認しました。彼女は英語は堪能だったのですが、これまで買ったことがなかったのでしょうか?いざ乗車してみたら1等寝台のコンパートメントだったのです。同室になったのは、40がらみの目つきの鋭い男で、ひとこともしゃべらず、缶ビールを開けては時々電話でなにやら連絡を取り合っているのです。私のカンからいうと、どう見てもヤクザか公安。おまけに鉄の扉で複雑な鍵がついていて、私には最初開け方がわかりませんでした。


他の部屋には3人くらいは乗っていて、女性客や子どもも多かったのですが、なぜか私たちの部屋には誰も入って来ません。男はさっさと電気を消してしまうし、私は予期することのなかった“まんじりともしない夜”を過ごすハメになってしまったのです。けっきょくこの男とは終着駅に着くまで、ただのひとことも言葉を交わしませんでした。




長い夜が明けると、右を見ても左を見ても、小雨にかすむ中、延々と田んぼが広がります。ほんのときどき、小さな町らしきところを通るのですが、工場の煙突が見えるわけでも、高層のビルが目に入るわけでもなく、すぐにまた田んぼが広がって、ときどき働いている農民の姿がチラホラ。ベトナムはとにかくコメの国であるという光景が、これでもかこれでもかと続きました。



ときどき停車する駅。ヤーサイゴンであの程度ですから、他は推して知るべし。しかし、のどかそうないい雰囲気でした。それに比べて、仏教寺院はどこに行っても豪華です。

実は私にはもうひとつ誤算がありました。このサイゴンハノイを結ぶ統一鉄道は、北京とハノイを結ぶ国際列車のように、いわば観光客向けの列車ではないかと思っていたのです。車内も特別仕様で、Wlfiも設置されており、当然食堂車も豪華。。。などなど。なぜなら、料金は飛行機の1.5倍〜2倍もして、私が払ったのは7500円ほどでした。ところがまったく思惑がはずれて、これはフツーのベトナム人が、短い距離で、バスよりは楽に移動できる、あるいは(椅子席はおそらく)バスよりも安いという、単なる選択肢のひとつに過ぎなかったようです。そういったことどもも知りたかったので、2等寝台の方を頼んだのですが、それもかなわなくて残念でした。

3日午後3時、途中に唯一ある大きなステーションダナンに到着しました。ここから外国人観光客(主に欧米系)がどっと乗り込んできて、私たちの部屋もようやく3人になりました。でもこの人も夜までには下りてしまうかも知れません。とにかく入れ替わり立ち替わりが激しくて、サイゴンからハノイまでずっと乗る人はほんとうに少ないのです。飛行機の方がずっと安いのですから、それも当然でしょう。



ダナン辺りではかなり長い時間、海岸線に沿って列車が蛇行を繰り返し、ずいぶん高い位置から、天然の要衝ダナン港を望むことができます。天気が悪かったので海の色はどんよりと鈍色にかすみ、水際では波の頂がはげしく崩れ落ちる様子がよく見えました。今はリゾート地としての開発が進んでいるようですが、ここはかつて、アメリ海兵隊が上陸して北爆のための基地を建設し、その100年以上前には、フランス海軍が初めてインドシナに砲撃を加えた場所です。カンボジアはいうまでもなく、どこの国も、とりわけアジアは、そういった負の歴史をかかえつつも、たくましく生き抜いてきたんだなぁとあらためて考えさせられました。




結局2日目の夜は、ハノイまで行く若夫婦が一緒で、ゆっくりと眠れました。翌早朝5時20分、ヤーハノイ到着。サイゴンハノイ間、1726㎞を31時間かけて走ったわけです。単純計算してみて下さい。あまり列車が利用されない理由はおそらくはこれでしょう。途中国道と併行して走るところでは、バスがどんどん追い抜いてゆきました。


外は土砂降りの雨で、TAXIにしつこく勧誘されましたが、急ぐわけでもないので拒否。30分ほどで雨も上がり、バス停にいたおじさんに行き先の紙を見せると、目の前に停まっていたバスに乗れと言われ、車掌になにやら言ってくれて、20分ほどでここで降りろと合図されました。なんと、幸運なことにそこから5分も歩かないで、目的のホテルの看板が見えたのです。

思惑がおおいに外れた列車の旅ではありましたが、それもこれも乗って見ないことにはわかりません。もう2度と乗ることはないでしょうが。

そうそう、同室になった男のことですが、やっぱり公安ではなかったかと思います。駅の外に出ようとしてフト振り返ると、彼は誰もいない跨線橋の上に立って、着いたばかりのホームをじっと見つめていたのです。