ベトナムの旅 その12


私たち“団塊の世代”(の一部の人間)にとって、ベトナムという言葉からのイメージは、ベトナム戦争に始まってベトナム戦争に終わるといっても過言ではないでしょう。思い起こすことは多々あります。ただ、今回の旅は、12月に予定されている、高校生のためのツアーの下見であって、旅のコンセプトは、国境を歩いて越えること、異文化体験、モノの流通などであって、現在の高校生に“ベトナム戦争”は旅の目的とするには無理があります。もちろん事前の学習会で触れるとは思いますが、関連施設など、下見の対象には入れませんでした。

それで私は、若い同僚をタンソンニャット空港に見送った後、ベンタイン広場に戻り、そこから歩いて「戦争証跡博物館」というところへ行ってきました。ベンタイン広場から北西の方角に15分くらい歩くと、上の写真で有名な現「統一会堂」、かつての南ベトナム大統領官邸の高い塀に行き当たります。今回は時間がなくて入りませんでしたが、大会がないときは、市民に開放されていて、自由に出入りできるカフェもありました。そしてそのまま蝉時雨の中を塀に沿ってまた15分ほど歩くと、博物館の前に出ます。




想像していたよりずっと小さな建物で、設備も、正直なところ地方のやや立派な公民館程度のものでした。館内の展示物はほとんどが写真と説明パネルでしたが、かつてどこかで見たことがある、キャパや沢教や石川文洋などの“有名”な写真も多く、1枚1枚、いろいろ思い出しながら見ていたら、けっきょく時間切れになってしまい、全部は見られませんでした。石川文洋、中村悟郎のコーナーは、それぞれ2部屋くらいとってあって、ここだけ日本語のキャプションがついていました。



もひとつ意外だったのは、観覧していた人のほとんどが欧米系の若い人たちだったことです。この写真は団体客ではないはずです。おそらくは、全体の90%くらいを占めていたと思いますが、みな口数も少なく、一枚ずつ時間をかけてじっくりと見ている人がほとんどでした。彼らの心が読めるはずもありませんが、例えば私たち日本人が、南京や731の写真や資料を見るときのつらいやり切れない思いと、共通するところもあれば、まったく異にするところもあるのでしょう。若い人たち同士で意見交換ができる場があればいいのになあと思いました。
実はこれより前、ダナンからホーチミンに向かう飛行機に乗った時、いかにもアメリカ人らしい大柄な人たちの小グループとすぐ近くの席に乗り合わせました。私よりは少し年齢が上、つまり、おそらくはベトナム戦争を実際に経験した元米軍兵士たちではなかったかと思います。もちろん話しかける勇気はなかったのですが、彼らもまた物静かで、窓の下に広がる熱帯雨林に時々目を向けているようでした。


実際、見たことがある写真が多かったのですが、その中で特に私の目をひいたのは、数枚の韓国兵の写真でした。

(とにかく、絶え間なきフリーズでどうしようもないので、ここでいったん休止します)