ベトナムの旅 その11

PCの調子が悪くてまた空いてしまいました。またぞろ寿命かしらと頭が痛いです。これまでにも何度か書いたことはあるのですが、アップできなくて。とにかく、日本で買っているPCなので、修理するときにいつも困るのです。PC本体自体のもろもろは中国語で表示がされないので、離石くらいのカスタマーセンターでは対応できる人がいないのです。これまでも何度か太原まで行きました。

それはともかく、ベトナムの旅報告もあと2回で終わりにします。なんだか目まぐるしく重苦しい事件が頻発しているし、いい加減にしないと。それに、そろそろ今年の“ハルビン・撫順ツアー”の準備にも入らなければなりません。こちらの方は9月です。



もう一度カントー。ホテルの窓からです。この川はメコンの支流のカントー川ですが、物流、人流の盛んなところで、漁船、果物や野菜を積んだ船、観光船、浚渫船とさまざまな船が通って見ているだけでも楽しいです。もっとも昼間は写真のように静かで、一番交通量が多くなるのは、近くで水上マーケットが開かれる5時6時のようですが、私はついに起きられませんでした。また次の機会があると余裕なので、ついつい寝坊をしてしまって。





ホテルで借りた自転車で20分くらい走るとカントー川がメコンの本流、といってもなんだか河口あたりでは2つに分かれているようで、これはハウザンと呼ばれている方の川に合流します。カントー大橋が見えますが、これはどうやら町のシンボルになっているようです。
3枚目の写真の屋形船は、水上レストラン。このあたりには、海鮮レストランがあちこちにあって、水上に井桁に橋を渡した上に建てたあずまや風のレストランもありました。大小のあずまやがひとつひとつ独立していて、なかなかいい雰囲気ですが、足元はそのまま水面だし、蚊が多いんじゃないでしょうかね。
黄河も、水際ではあまり“流れ”を感じない河(もちろん私が住んでいるあたりでは)ですが、メコンはもっともっと穏やかで、船が通った時くらいしか波が立ちません。黄河と同じく、水は完全に“泥水”ですが、この“泥”が堆積して、悠久の文化をはぐくんできたのでしょうね。日本のような“清流”では、やはり“四大文明”級の文明の萌芽にはほど遠かったということです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B3%E3%83%B3%E5%B7%9D



ベトナムは仏教国ですが、街中でお寺をよく見ました。大乗仏教ですが、日本の寺とはなんとなく雰囲気が違います。


若い人が線香をあげて一心に祈っていました。中学生くらいの3人組の少女たちも見ました。堂内はみな靴を脱いであがります。話は飛びますが、カントーで泊まったホテルのハウスクリーニングの若い女性たちは、靴を脱いで部屋に入って来たので驚きました。中国でも日本でも、ましてや西欧ではあり得ないと思いますが、ベトナムの靴を脱ぐ文化というのは興味がありますね。


お坊さんが一生懸命拭き掃除。街の普通の人たちが、毎日のように来て祈っているような雰囲気でした。街のあちこちで黄色い菊を売っていたのは、やはりここに供えるためではないかと思います。


すぐ向かいにあったクメール寺院。



スーパーの2階にあったフードコート。sushibox 微妙です。今回は口にする機会がなかったので、味の方は不明。韓国資本はいろいろ。韓国料理の店も見ました。



まったく言葉が通じなかったので、何だかわからないのですが、これがめっちゃおいしかったんです。メインは甘く煮た切りイカ。それにナッツと香辛料がたっぷり。で、これをすぐ向かい側にあった公園のベンチで食べていたら、公園管理人がやって来て、自転車を出せ、というのです。乗り入れどころか、持ち込みも禁止みたいです。だいたいゴミも落ちてなくて、街はきれいでした。


とにかく至るところカフェだらけ。これは郵便局の前の路上で日が暮れて店開きしたところ。こういうプラスチック製品の簡素な移動カフェも多いです。写真のように、みな道路の方に向けて椅子を並べるのです。どこに行ってもだいたいそう。それで“厨房”というのは屋台みたいなのが多くて(もちろん店舗を構えてる方が主流)、時には自転車屋台で、そこから運んでくれます。美術館や書店や軍事博物館の庭にもあって、博物館は休みでもカフェは賑わっていました。



カントーの本屋で。一番人気はダントツに英語。で、並んだ本の種類から見ると、2番目に多かったのが日本語だったのです(1、2位の差は巨大)。ついでハングル。そしてドイツ語、フランス語。なんと最後が中国語でした。私たちが泊まった安ホテルでも、フロントはみな英語が話せました。流暢といってもいいくらい。
歴史的には漢字文化圏のはずだし、お隣なんだから、中国語はもっと通じると思っていたのですが、国境の税関を除いて、まったく通じませんでした。街に出てしまえば英語も通じないし、これは本番までになんとか、ベトナム語を勉強しなければならないのではないかと、寄る年波も顧みることなく、最近は考えているのです。しかし、今の環境でベトナム人を見つけ出すのは不可能です!