JICAで思うこと

ちょうど移動中だったこともあって、ようやくダッカ事件の情報をネットで知ることができました。私が日本を発った翌朝、同じ羽田空港に、亡くなられた方々のご遺体が帰国されたことも知りました。ご遺族の方々の心痛はいかばかりかと思います。ただ私は、犠牲になった方々がみなJICAの職員であるというのを知って、いろいろ考えることがあるのです。もちろん、亡くなられた方々のご冥福を祈る気持ちはみなさんと変わりません。

JICAというのは、外務省所管の独立行政法人で、ODAの実施機関のひとつである、とWikiには書かれています。現理事長が北岡伸一であるというのは、初めて知りましたが、私のように海外に出ることも多く、特に“発展途上国”に滞在する機会が多い人間にとっては、たびたび耳にし、関係者と出会うことも少なくない組織ではあります。青年海外協力隊というのもJICAが派遣する団体です。


つい先ごろまでベトナムにいたわけですが、そこでも目にしました。ホーチミンで地下鉄工事が始まろうとしているところで、下請け業者は、清水建設前田建設のようです。



日本からやってきた同僚をタンソンニャット空港に見送ってから、私はホーチミンからバスで4時間半ほどのメコンデルタの中心都市、カントーという町に3泊滞在しました。泊まったホテルの窓からよく見える位置に大きな橋が架かっていて、それがJICAの支援によるものであることは、ガイドブックで知りました。夜にはライトアップされ、なかなか美しい橋です。2枚目はこの橋を渡るときですが、この川がメコンの本流です。

日頃はなにしろ、日本人に住民の半数以上を虐殺されたという村に暮らしている身ですから、日本の援助でベトナムの人々の暮らしが便利になって喜んでくれているのならいいなぁ、と思うことは、みなさんの比にはならないくらいだというのはおわかりいただけるでしょう。

ところが日本に帰ってから調べてみると、意外なことがわかったのです。このカントー大橋は、ODAで賄われた総工費およそ300億円を投じて、2010年に完成しました。事業主体は大成建設鹿島建設だったようです。華々しく開通セレモニーが執り行われたようですが、実はこの橋では、工事中の2007年に橋げたの落下事故が発生し、55人の死者を出しているのです(一説にはもっと多かったとか)。原因は人災で、日本側の建設会社が補償金を支払ったようですが、この事故のことはあまり公にされず、慰霊の儀式も行われなかったようです。

もう7,8年前になりますが、臨県の町で偶然JICAの人たちに出会ったことがあります。4,5人のグループだったと思うのですが、北京から大きな車でやって来て、その先1週間くらいかけて、黄土高原の農村の暮らしぶりを視察するのだといっていました。たしか、農村地域での社会保険制度の導入に関する調査だったと記憶しています。その頃すでに何年か村で暮らしてきた私は、そんなに短い時間でいったい何がわかるのだろうか?といぶかしく思ったものでしたが、プロにはプロのノウハウがあるのでしょう。

ODA-JICAも様々な課題を抱えているようですが、ここでは控えます。私にとって問題なのは、この秋、生徒たちがやって来たとき、どういうスタンスで、例えば上の地下鉄工事の看板を見てもらうかということです。私は“教師”ではないので、それに関して“講義”することはないし、引率してくる“教師”が、どのように考えているのか、いまはわかりません。しかも生徒たちは、フツーのベトナム市民では考えられない高額な予算を使って来るのだし、それなりに立派なホテルに泊まり(安全性第一で)、シャレたレストランにも入ります。もちろん、みんな自分たちのお金を払って来るのだし、それでいいと思います。でもやっぱり難しいです。“支援”の問題をどうとらえるか?する側とされる側との距離をどうやったら縮めることができるのか?みんなで考えていければいいなと思っています。どうも、歯切れの悪い文章で、すみません。