坪頭村へ

昨日、坪頭(ping tou)という村に村人のバイクに乗せてもらって行ってきました。ここは、1943年の秋に、105人の村人が日本人に惨殺されたということで、賀家湾と並んで、界隈では有名な村です。私は2007年と8年に10回以上訪れているのですが、とにかく行きづらい所で、その後はすっかりご無沙汰していました。天気のいい日には賀家湾からも遥か彼方に望むことができる村ですが、行くとなるとこれがまた信じがたくいくつもの山坂を越えなければならないのです。それでも今回は一日中うす曇りという、最高のコンディションの元で、1時間半ほどで到着しました。(新しく道ができていました。そうそう、私が一時期乗っていたバイクは大家の息子にあげてしまいました。なにしろ、全道モトクロスレース場のような山道を走るわけで、こければ大骨折必定。さすがに歳を考えました。)

一番の目的は、被取材者の安否確認と、DVDに焼いた取材ビデオを渡すことです。もう長いこと行ってないし、さぞかし亡くなった人が多いだろうなと思っていたのですが、意外(!)なことに、何人もの老人たちの元気な顔を見ることができました。他の村と比べて、“長寿村”といえると思います。私が用意した14枚のDVDのうち、4枚を直接本人に渡すことができ、他に5人の人が離石などに引っ越していて会えませんでした。つまり、亡くなっていたのは5人で、これは私の経験上、希少ともいえる状況です。


私が一番会いたかったのはこのおばあちゃんで、8年前に取材したときにすでに体調がおもわしくなく、おそらくは。。。と思っていた人です。今年89歳。会えて思わず涙がこぼれそうになりました。彼女のお母さんは日本兵に射殺されているのですが、私個人との関係はまったく別のことだからと、いつ行っても私の訪問を喜んでくれます。物静かでとても知性的な女性です。


このカップルはそろって“天然ボケ”ともいえる人たちで、こういう人が長生きするんでしょうね。ばあちゃんの方は8年前とぜんぜん変わっていなくてびっくりしました。じいちゃんは今年95歳。元気に外を歩いていました。この歳でこれだけ元気な人をこれまで見たことがありません。ただし、頭の方は以前からぼんやりで、何を聞いても「いやぁ〜覚えてないな。」


このじいちゃんは92歳。1年前に脳梗塞を患って半身マヒで、カンからは下りられないそうです。でも座ることもでき、ごはんもちゃんと食べられるし、頭の方ははっきりしていました。彼は“毛沢東主義者”で、いろいろ本も読んでいたみたいです。最初に会ったころは、「ふん、日本人か。。。」と、明らかに敵意をこめたともいえる眼差しを私に向けたものですが、2回、3回と会ううちに表情がなごんできた人です。


で、私が撮った写真が壁に掲げてありました。これは葬儀のときに使い、その後もずっとそのまま飾られるものです。いい写真を撮ってもらったと、その場にいた娘さんがいっていました。朝飯抜きで来ていた私はここでうどんを一杯ごちそうになり、次の村に向かいました。



今回坪頭に行ってきたもうひとつの目的は、この1枚目の写真のじいちゃんに会うことでした。虎山という、すぐ隣の村なのですが、この村で以前、日本軍が傷寒菌(チフス菌)をまいて、何人かの人が亡くなった、という話を聞いていたからです。その話をしたのは2枚目の写真のじいちゃんですが、家族全員が罹患し、両親ともにそれが原因で亡くなったといっていました。で、この話はすでに7年も前に聞いていたのですが、その後すぐに彼が交通事故で亡くなってしまったので、なんとなくそのままになっていたのです。

それで、同じ村の上の写真のじいちゃんがまだ生きているかどうかわからなかったけれど、訪ねてみたら息子さんが出てきて、いまは離石に行っているけど、しばらくしたら帰って来るというのです。彼は今年93歳。元八路軍兵士で、記憶の方も非常にはっきりとしていた人でした。今も変わらないということです。ということで、今回の訪問の目的は半ば以上達成できたということで、とりあえず賀家湾に帰りました。


そして翌8日に、渠家坡(チージャーポ)という村へ行ってきました。ここは賀家湾と同じく招賢鎮にあって、40分くらいで行けます。この村へは9枚のDVDを持参したのですが、なんと、1枚も本人に手渡すことはできなかったのです。7人がすでに亡くなっており、あとのふたりは村にはいませんでした。これほどではなくても、やはり半分以上が亡くなっているのが普通です。私が取材したのは2007年、8年がもっとも多く、考えてみればあれから7、8年も経っているのです。私の黄土高原暮らしも、ほんとうに長くなったものだなぁと、しみじみ胸に迫ります。何人もの老人たちの葬儀−−黄色い大地に還ってゆく瞬間も見届けました。あと何回そういう機会に遭遇するのだろうか、いや、自分の番はどうなるのか、などと振り返る私ですが、いえいえ、まだまだ忙しいのです。次回をお楽しみに。