郎木寺(lang mu si)

夏河から南へ230キロほど行くと郎木寺(ランムース)という、同じくチベット仏教の聖地があります。この町は甘粛省四川省にまたがっていて、それぞれの省に有名なチベット仏教の寺があり、夏河へ来た人は、だいたいここを訪れます。夏河に戻る人と、そのまま四川省へ抜ける人がいるようです。ただ、夏河からのバスは1日に1本しかなくて不便なので、旅行客は相乗りでタクシーをチャーターして行くことが多いようです。YHの完瑪草さんが按排してくれて、合計4人で日帰りで行くことになりました。山東省と江蘇省から来た20代の女性と、長くアフリカで道路建設の設計技師をしていて、定年退職したばかりだという男性の4人です。




朝8時に出発して一路郎木寺に向かうのですが、なんとなく曲がりくねったガタガタの山道を想像していた私の予想をまったく裏切り、道路は一貫して日本の観光地とまったく変わらない、すばらしい高速道でした。いつごろ完成したのかは聞きそこねましたが、北京オリンピックが終わった頃から、あちこちで“西部開発”のスローガンを見聞きするようになり、その結果がこのインフラ整備ということでしょう。

チベット族の運転手が、気を利かせて途中で時々停まってくれ、写真を撮ったりしたのですが、夏河から少しづつ高度をあげているので、車を降りて数歩でも歩くと息が切れ、小走りに駆けようものなら、心臓が破裂するのではないかというくらい酸欠状態になるのです。どうやら標高3500m前後の山岳道路を爆走しているようです。両側に広がるのは、果てしなく続く大草原と草を食む羊とヤクの群れ。まだ草が生えきっていない時期なので、全体に黄色っぽい写真になっていますが、あと数週間もすると、まさに緑の絨毯が敷き詰められ、可憐な高山植物が競い咲く麗しい季節になるのです。



3時間半ほどで郎木寺に到着しました。ここは夏河よりもずっと小さな町ですが、予期した通り、ここもまた観光開発の真っただ中だったのです。バスやタクシーの駐車場のあたりから寺まで、土産物屋とレストランとホテルが軒を連ね、YHの看板を掲げているところもありました。この日は、観光客の姿も見られませんでしたが、夏休みともなれば、こんな狭い町に千を越えるような観光客がごった返すのかと思うと、我が身のことを忘れて、「これでいいんだろうか?」と考え込んでしまいました。といいつつも勝手なもので、せっかく来たのだからと、30元の入場料を払って、寺域に入ってみました。






チベット仏教寺院はかつて破壊されたものが多いので、現在あるものは、比較的新しく修復されたものだと思いますが、内院のきらびやかな色使いと、壁面に描かれた微細なタンカ(これは撮影禁止)、金箔が葺かれた屋根など、決して“裕福”であるとは思えないチベット族の人々が、わずかづつ寄進して自分たちの信仰を守ろうとしている想いがしのばれます。もちろん第一に、中国政府の援助がなければ成立しえないことではありますが。



広い寺域の奥の方に行ってみると、破壊の痕跡とともに、破壊をまぬかれたであろう古ぼけた僧坊や住居が散在していて、ばったりラマと鉢合わせたりもするのですが、一生が修行者の身である彼らにとって、この“観光開発”の恩恵の受給者である私たちの姿は、いったいどのように映るのでしょうか?もちろん修行の場には入れないし、観光収入も役立て方によっては価値があるものといえるでしょう。無言で通り過ぎる彼らの表情から読み取れるものはありませんが、もしかしたら、よかれ悪しかれ我々俗人の憂うる危惧や罪責感などは超越しているのかもしれません。

しかしながら、この郎木寺になぜそんなに観光客がやってくるのかというと、そのひとつの“売り”は、どうやら「天葬」にあるのです。天葬とは、チベット族が行う鳥葬のことです。夏河ではすでに20年以上前から禁止され、現在はみな火葬だそうですが、郎木寺ではまだ天葬が行われており、その様子を、遠くからではありますが、観光客でも見ることができるのです。正直いって、私も見たいです。ものすごく見たいです。でも例えば入場料を払って見るのだとしたらちょっと考えます。でも、いろいろ悩んでその場になったら、やっぱり見ると思います。





寺域を歩いていたら標準語のできる村人がいて、彼と話していると、「天葬台」を見てこいといって、行き方を教えてくれたのです。そこでとにかく、今日はその天葬が行われる天葬台というものだけは見て帰ろうと山に向かって歩き始めました。上の写真が天葬台の入り口ですが、タルチョーと呼ばれる五色の祈祷旗で飾られているので容易にわかります。


これが遠くから見た天葬台。このテントのようなもので囲われた広場で天葬が行われます。テニスコートくらいの広さでしょうか。幸いなことに観光客らしき姿はありませんでした。チベット族の習慣では、人が亡くなるとすぐ翌日の早朝に天葬は行われるそうです。




中を覗いてみると、やっぱり人間の骨がバラバラと散らばっていました。しばらく行われていなかったのでしょう、辺りはカラカラに乾燥していて、高原の涼やかな風が通り抜け、そこは陰惨な墓場ではなく、むしろ人の一生を終えるにふさわしい華麗な舞台装置のようにも思えました。