甘粛省夏河県

蘭州からバスで3時間半ほど南西に向かうと、甘南チベット族自治州の夏河(xia he)という町に到着します。そもそも蘭州に来たのは、この夏河に来たかったからです。ネットで偶然見つけたのですが、この町の人口の80%近くがチベット族で、町には拉卜楞寺(la bo leng si)−ラプラン寺という、チベット仏教ゲルク派の六大寺院のひとつがあるのです。私もずいぶん長いこと漢族の村で暮らしてきたので、漢族=中国人といった誤った価値観に染まりかけているのではないかという危惧があり、漢族ではない中国人の暮らしぶりを見てみたかったのです。それと、チベットへは行きたいと思ってもさすがに遠く、手続きが複雑でお金もかかるので、いわば“ミニチベット”にまずは行ってみようと考えたからです。

チベット仏教に関しては、もちろん私には何の知識もないので、関心がある方はこちらから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%BB%8F%E6%95%99


夏河のバスターミナルには5時半ころに着きました。それから、蘭州の本屋で見たガイドブックに出ていたYHを探し当て、荷物を置いてさっそくラプラン寺に出かけました。すべてが徒歩で回れる小さな町です。町そのものは行政のテコ入れがあって、観光地向きの整備が施され、商店もホテルも学校もお役所も一見似たような造りになっていて、それはもう私も最初から織り込み済みでした。磧口をさんざん見てきているので、“観光による町起こし”が、けっきょくは映画のセットのようなはりぼての街並みを形成してゆくのだという、私たち外来観光客にとって悲しい事実は、如何ともしがたいのです。



YHからラプラン寺の入り口までは歩いて5分くらいです。寺といっても、僧院や学校や居住区などがすべて一緒になっているので実に広大な敷地で、その敷地のぐるりに、大小のマニ車というものが取り巻いていて、それをぐるぐる回しながらたくさんの人々が巡礼をしているのです。ほとんどが、一目でチベット人とわかる服装や顔立ちの人とエンジ色の僧衣を纏ったラマたちです。



観光客らしき人たちもたしかに少なくはないのですが、“聖域”に踏み込んだ途端に、それら外地の人たちがほとんど目に入らないほど、濃厚な“チベット的世界”がそこには広がっていたのです。




そして私のような“よそ者”が、キョロキョロしながら慣れない手つきでマニ車を回している傍らを、「五体投地」で一心に祈りを捧げている人たちがいるのです。全身砂にまみれて、手を合わせ、跪づき、身を大地に投げ出して、まるで尺取虫のように少しづつ少しづつ前に進んでゆくのです。信仰というものに縁のない私には、なぜあれほどまでに過酷な祈りを、誰のために何のために捧げているのかわかりません。


しばし呆然としている私を、こんなラマがこっちに来なさいと招き寄せてくれました。彼は標準語が少し話せて、会話が成立しました。日本人であるということもよく承知してくれました。彼は青海省の寺にいて、12歳のときにここに移り、以来76年間、ずっとこの寺で過ごしているのだそうです。ぽちぽちと会話をしていると、通りがかる巡礼者が、お布施を渡しに来るのです。それで、ラマでも生活するのに現金がいるのかと聞くと、寺の中にいる限りはいらないけれど、たまには外に出たりするので、だいたい1か月に5.60元くらいのお金はいるというのです。でも、こんなにお布施をくれる人がいるんだから、きっとお金使いきれないくらい持ってるんでしょう?というと、そうだそうだとうなづいていました。銀行に貯金してるんじゃないの?というと、そうだそうだとうなづいていました。その後に、背中がかゆいから掻いてくれというので、僧衣の中に手を突っ込んでバリバリ掻いてあげたらとても喜んでくれました。


YHに帰ってから老板娘(女性経営者)の完瑪草に写真を見せると、やはりこのラマは有名な人で、信者に説教をすると1回で100元くらいはもらうから、月に3000元くらいの収入はあるはずだというのです。でも、結婚もできないし、誰に残すのかと聞くと、兄弟の子供や孫にあげるのだそうです。つまりラマとして出世すれば、親族が養えるということです。

現在ここに何人のラマが暮らしているのかまだ聞いていませんが、狭い町の中のいたるところで姿をみかけます。スーパーや食堂や喫茶店にいたり、タクシーやバスに乗ったり、バイクに乗ってる人だっているのです。早ければ、3,4歳の頃から寺で修行を始めるという、チベット仏教の僧侶の暮らしがいったいどんなものなのか、おおいに気になる夏河1、2日目でした。