阿育王公墓

時間的に前後しますが、バスを降りて、すぐ目の前にあったのが「阿育王公墓」です。公墓というのは、共同墓地のことですが、とにかく目の前に広がっていたので、まさに誘われるように足を踏み入れてみました。

すると、入口の前に何人ものおばさんたちがたむろしていて、私に声をかけてくるのですが、これがまったく通じません。広東語系列なんでしょうか?とにかく、墓参りに来た人に何かを売りたがっている風情なのですが、花や線香を売っているわけでもありませんでした。





まぁ軽く無視して中に入ってみると、そこにはご覧のような墓碑が所狭しと林立し、しばらくこういう墓を見ていなかったので、私は思わず眩暈がしそうになりました。黄土高原の墓は土まんじゅうだけで、墓碑というものはいっさい建てません(最近は流行なのか、3周年の忌明けのときに建てる家もあります)。時とともに土盛りが崩れて、黄色い大地に戻ってゆくだけです。

あれこれ墓碑を見ながら、いろんな名前があるものだと感嘆していると、向こうからさきほどのおばさんたちがゾロゾロとやって来ました。先頭に、墓参りに来たらしい2人づれがいます。彼女たちはいったい何をするのだろうと興味津々で、最後列について、どんどん奥まで入って行ったのですが、目的の墓はかなり奥の方の少し古い墓碑が並んでいるところにありました。



で、おばさんたちは何を始めたかというと、墓の周りを掃除し出したのです。それから、墓石に彫られている名前の窪みに、赤と黒の墨を入れました。しばらく来ていなかったので、墨はすっかり落ちていたのです。


これが上海からやって来た、色さん。息子さんも一緒でした。彼らは仏教徒で、おそらくはご両親もそうだったのでしょう、わざわざ阿育王寺の隣を選んで墓を建てたそうです。

で、この10人ほどもいた墓掃除のおばちゃんたちとちょっともめていたのですが、聞いてみると、彼女たちは掃除代として100元を請求したそうです。色さんは最初50元を払ったのですが、それではなかなか引き取ってはくれず、ついに80元で手を打ったそうですが、それはメチャ高いです。そもそも1人か2人来てくれればいい簡単な仕事なのに、全員こぞってやって来るという方が間違っています。墓参りに来る人を相手だから、ご祝儀相場(とはいわないですね、何ていうんでしょう?)をはってるんでしょうが、暴利としかいいようがないですね。色さんは知的で温厚な雰囲気の人だったから、きっと足元を見られたんだと思います。

まぁ、いかにも中国的なこんなことがありまして、その後、色さんたちと一緒に阿育王寺に行ったわけです。で、蛇足ですが、私も思わず「もっと古い墓はどの辺りに?」と愚問を呈するところだったのですが、こういった公墓は新中国が建国されてからのものですから、清朝明朝の墓はありません。