阿育王寺(a yu wang si)


ガイドブックになかなか良さそうなお寺の写真があったのでネットで調べてみたら、なんとも由緒正しき禅宗名刹でした。阿育王というのは、アショカ王のことで、紀元282年に建立されたというのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%82%B2%E7%8E%8B%E5%AF%BA

町の中心部から20キロくらいあるので、行くのが大変かなと思っていたのですが、寧波駅から北方向の海浜工業地区へ向かう市内バスが出ていて、それに乗って1時間ほどで着きました。バス代は100円、中国も物価上昇は激しいですが、公共交通機関だけはうれし涙が出るほど安いです(中長距離の私営バスなどはかなり高い)。そこで降りたのは私ひとりでした。



お寺の概要は上のURLで見ていただくこととして、ほんとうに静かでいい寺でした。ときどき団体客とすれ違いましたが、それもほんのわずかで、しかも観光客というのではなく、お詣りに来ている人たちでした。北の方で暮らしていると仏教徒というのはほとんど見ないし、土地神様の廟はあっても、お詣りするという習慣がそもそも稀薄なので、葬儀を除いては、人が祈る姿というのを見ることは滅多にありません。




これらがどういったいわれのある塔なのか、説明書きがいっさいないのでわかりません。いずれにしろ、創建当時の建物は現存していないようで、わりあいに新しいもののように思われました。それでも数百年はたっているでしょうが。






中国の南の方に行くと、お寺に限らず、建物の屋根が反り返っていますが、これはいったいどういう意味があるのでしょう?広州あたりに行くともっと反っていますが、富があればあるほど反り返るのでしょうかね、人間みたいに。などという雑念を払って心静かに眺めれば、いいお庭でした。





舎利殿。中にはものすごく立派な舎利塔がたっていましたが、これは撮影禁止。概して、中国というのは、軍事関連を除くと、撮影禁止というのはほんとうに少なくて、美術館・博物館なども、フラッシュは禁止していますが、撮影はOKです。もっとも、禁止されていても、みんな平気でバシャバシャやってますが、カメラなど最近のものだし、元来お上の決めた規則など単なるタテマエだと理解しているみたいです。これは、撮影問題に限らず、中国人の持つ顕著な“国民性”だと、私は理解しています。




北では見ることがない、竹の林や生け垣などもあって、きっと竹の子が出るだろうなぁ、今頃はおいしいだろうなぁなどと、竹の子好きな私は地面をキョロキョロしていたのですが、やっぱりいましたね。近くで掘ってきては運ぶ人と2人組で、せっせと売っているおばさん。運んできてはすぐに売り切れてました。元手はいらないし、いい小遣い稼ぎでしょう。1キロ200円。



これは門を出たところにあったのですが、モクレンと、桜?ですよね。ほんのしょぼい木が1本だけありましたが、誰かが植えたといったふうもなく、自生した感じだったのですが、どういうことでしょう?



これは2枚目の写真の池ですが、鯉とカメがたくさんいました。死んだ魚の上にじっと乗っている子ガメがいて、そういえばこの池には、カメが上って休憩する岩場がないなぁ、カメだって泳ぎっぱなしは疲れるから、何か作ってあげればいいのにとか考えながら、ぼんやり時間を過ごしました。

この2人のお坊さんとちょっと話をしたのですが、寺の中では現在150人くらいが暮らしているそうです。日本人はいますかと聞いたら、今はいないけれど、寧波大学に留学している尼さんがいて、しょっちゅうやってくるそうです。それから、この寺の開祖は遊行僧だったそうですが、それがなんと離石から来た人だというのです。真偽のほどはともかく、なんという偶然でしょう。それにしても、離石というのは、そんなに昔から記録に残っている地(名前は変わってるにしても)だったのでしょうか?それにびっくりです。


最大の謎がこれ!寺の中の一室が資料館のようになっていて、ほんのわずかですが、陳列品が並んでいました。これは舟です。ひとり乗りくらいの小さなものですが、これって、も、もしかして「渡海舟???」。近くにいた若い坊さんに聞いたのですが、わからないという答えでした。渡海舟というのは、棺桶みたいに地味なものだったと読んだことがありますが、後年には補陀落寺の高僧が、死んでから舟に乗せられて海に流されたこともあったとか。こんなキンキラキンの極楽浄土みたいな舟も、中国ならあり得るかも。この寺は山の上にこそありますが、海はそれほど遠くなく、まして数百年も昔だったら、海岸線はずっと近かったはず。寺は禅宗だけれど、なにしろ1800年近くの歴史を持つのだから、さまざまな変遷を経ていても不思議ではない。しかし、そもそも補陀落渡海信仰というのは、中国から伝わったものなのだろうか?それとも、日本独自のものなんだろうか?ああわからない。どなたかこの方面(?)に詳しい方がいらっしゃったら教えてください。