寺坂底 つづき


前々から気になっていた建物がこれ。明らかに何かモノを商っていたと思うのですが、いつも大門が閉まっていて、人が住んでいる気配がありませんでした。ところが今回前を通ったら、犬が激しく吠え立てたのです。飛びかかってきそうな勢いだったので、門を開けることもできずにまごまごしていたら、ちょうど通りがかったおっさんが、中に声をかけてくれました。すぐに中年の女性が出てきて、私の顔を見ると、どうぞどうぞと招き入れてくれました。


それでようやく長年のナゾが解けたのですが、ここは昔、餅などを焼いて売っていたそうです。寺を参拝する人たちがお客さんだったのでしょう。内部はかなり痛みが激しい状態でしたが、それでも昔日の繁栄を物語るに十分な風情を残していました。写真の正面の高い位置にもヤオトンが見えますが、昔はここの主人が暮らしていた部屋だそうです。

部屋に入って休んでいって、と勧められたので中に入ると、おばあちゃんがひとり編み物をしていました。どこかで会ったような記憶があるけど、思い出せません。ところがおばあちゃんの方はよく覚えていて、話をするうちに私も思い出しました。7年前に小張家坡という村で取材したおばあちゃんです。去年おじいちゃんが亡くなって、娘さんがいるここに引っ越してきたのだそうです。

最近の私はどこに行っても、あの人は亡くなった、あの人ももういない、という話ばかりを聞くので、ほんとうに久しぶりに、こうやって元気な姿で再会できて、思わず胸が熱くなりました。おばあちゃんは82歳とは思えないほど元気で、もちろん頭の方もはっきりしていて、これからはいろんなこと、戦争の記憶だけではなく、昔の暮らし、習慣などについて聞けるなぁと期待が大きいです。

帰りがけに、商店街の裏道に出たら、八百屋のおっさんとバスの運転手が立ちションをしていたので、
「あの寺はいつごろまであったの?」と聞くと、運転手が、
「あれは日本人が壊した」というので、
「あんたたち、なんでもかんでも日本人がやったというけど、私はもっと前からなかったと聞いてるわよ」と、実は適当にカマをかけると、八百屋が、
「いやあれは、文化大革命のときに紅衛兵が破壊したんだ」といい出し、そこへまた電気屋のおっさんがやってきて、
「いや、国民党だよ」と、もう馬虎(ma hu=いいかげん)なこと限りなく、
「いいよもう、あんたたちのいうことは信用できないから、年寄りに聞く」といって、サモ君の骨を10元分買い、そろそろ冷え込んできた帰路を村に戻りました。

とにかく、収穫の多い一日ではありました。