3日間あれこれ

一昨日、文化広場で、村民委員会のメンバー7人を選ぶ選挙がありました。第10回と書いてあったので、9年前からこういう制度が始まったということでしょう。村民委員会でどのようなことが話し合われ、決定されるのかまではわからないので、いずれまた機会を選んで聞いておきましょう。


招賢鎮政府から何人も人間がやってきていたので、私が貼りついて写真をパチパチというのは心象よろしくなく、軽く2度ほど足を運んだだけでした。村長選挙ほどではないのですが、それでも普段は村にいない人もかなり戻ってきていて、世間話の花が咲いていました。

2枚目の写真の茶色の服装の人は、村でただひとりの仏教徒です。

その場で開票され、村民が見守る中で黒板に得票が書き込まれてゆきます「正」の字で計算してゆくのは日本も同じですが、なんだか小中学校の学級委員選挙みたいで、懐かしかったです。


翌朝の招賢。左上に写っている赤いバスが離石行きのバスです。ここで毎朝豚の解体が行われます。ここまで来てしまえばどうということはないですが、もう少し早い時間に来ると、ちょうど屠殺の現場だったりして、豚はものすごい悲鳴をあげるので、なかなか辛いものがありますが、近所の人たちは慣れているんでしょうね。骨も1キロ6元で売ってくれます。


写真中央のやや右寄りに2羽のスズメが写っていますが、犬だけじゃないんですね、スズメも寄ってきて肉片をついばんでいました。スズメが肉を食べるというのを初めて知りました。


バスの中から見かけたタンフールー売り。近くに市が立つのでそこに行くのでしょう。先回の離石のタンフールーに個別包装がしてある、というコメントをいただきましたが、それはまだまだ少数派で、剥き出しのまま売られています。外側は飴なんだから、さぞかし、土や埃やらたっぷりまぶされているのでしょうが、そんなのはおかまいなしですね。


離石に着いたら、ちょうど小学校の昼休みが始まる時間でした。日本と違って、こちらは昼休みがとても長く、みな家に帰って食事や昼寝をします。よほど近くでない限り、親が車やスクーターや電動サイクル(当地では、いまや自転車はほとんど見る事ができません)で迎えに来て、また送ってきます。だから、この送迎だけで親の負担はたいへんなものになるのです。

以前、村から離石に行った女性に「何か仕事してるの?」と聞いたことがあるのですが、「とんでもない、そんな時間はとれない」といわれました。

また、冬季の7:50というのは、まだ薄暗い時期があり、以前磧口にいた時など、真っ暗な中を、懐中電灯を持って凍えながら登校する子どもたちの姿を見て、こんなに大変な思いをして学校に行くのか、と感嘆したものでした。今は村落部に学校はなくなりましたが、明け方は氷点下10℃を切る地域で、親も子どもも教育にかける熱意にはすさまじいものがあります。


教室から校門に出てくるまでは、各クラスのプラカードを持って、みんな並んで出てきます。親も中に入ることはできません。右側の子がたすきをかけていますが、学級委員のたすきでしょうか。日本ならばさしずめ腕章かバッジだと思うのですが、こちらでは、何かにつけ、たすきをかけるのが伝統です。


校門の外には、文具やお菓子や雑貨などたくさんの屋台が出ていて、門を出てしまえばそこに群がるのは日本と同じですね。





普段は行かない肉売り場の方に初めて行ってみました。ほとんどが豚と羊で、牛はほんとうに少なく、かわりにロバ肉が並んでいました。ウサギもハトもたくさん。3枚目は烏骨鶏(ウコッケイ)、卵は栄養価が高く人気商品です。店のあんちゃんが、「もっと写真撮ってけよ」と、ウサギの死体とか毛皮とかわざわざ出してきてくれましたが、早々に引き上げました。


ホテルの窓ガラス越しではありますが、今日の午前中はずっとこんな空でした。霧なのかスモッグなのか?おそらくは、後者ではないかと懸念します。


ケンタの前で街路樹を植えていました。こちらでは、ほんとうに大きく成長した樹を植えます。枯れてしまうものもありますが、不思議と根づくのも多いんですね。時間をかけてゆっくり、少しずつ、というのは、中国人はあまり好きではないようです。