なつめふぉとあるばむ 1

(*写真にカーソルをあてると、撮影年月日が表示されます)


なつめが私のところに来たのは、2007年12月7日のことです。当時私は樊家山に住んでいて、工農庄という村の薛さんという老人を取材に行った帰り、そこのお孫さんに、ぜったいに飼えないといっているのに、無理やり“押し付けられた”のです。メスだったし、もらい手がなくて困っていたのでしょう。

でも、特別にかわいい子だったから、きっとじきにもらい手は見つかるだろうと読んで、連れて帰ったわけです。ところが、メスだったことが最大の難関で、あちこち探し回ったのですが、飼い主を見つけることができませんでした。

その後じきに私は磧口に引っ越したので、この写真は磧口です。もらい手探し中だったので、この頃はまだ滅多に写真を撮ることもなく、数少ない幼児期の写真です。この頃から、とても好奇心の旺盛な犬でした。

ちなみに、その取材した薛老人は当時80歳でしたが、今も健在です。ちょうど招賢に行く通り道にあたるので、時々姿を見かけます。終局の太原解放戦争のときに、家畜で銃弾を運ぶ仕事についていたそうです。


生まれてちょうど半年くらいです。これも上の写真と同じ、磧口で間借りしていたヤオトンの庭です。大家のおばさんとふたり暮らしでしたが、そのおばさんになかなかなつかず吠えるので、繋いで飼っていました。その人が犬好きかそうでないか、すぐにわかるようで、犬好きの人には吠えなかったのですが。。。


黄河に流れ込む支流、秋水河畔の“空飛ぶなつめ”。ここから河川敷を歩いて5分で、黄河の岸辺につきます。ロープを外したとたん、ドビュアーッと駆け出す、ほんとうに活発な犬でした。河川敷には割れたビンの破片や尖った流木片などもいっぱい散らばっていたので、心配の種は尽きませんでしたが、街中は、放し飼いのオス犬が怒涛の如く寄ってくる(やはり圧倒的にメスが少ない)ので、山か河のどちらかに行っていました。この頃はまだまだもらい手を捜していました。


犬って、靴とか靴下とか、臭いものがほんとうに好きですね。この靴を銜えてブルンブルン!ドタンバタン!振り回すのが欲求不満の解消法でした。それと、気に食わないと野ウサギみたいに穴を掘ります。


この頃はもう自分で飼うつもりでいました。これも何かの縁だし、何とかなるだろうと甘い考えだったのですが、この後の何年か、やはりなつめのために費やした労力と時間は大きいです。

この写真は賀家湾に引っ越してすぐの頃、今は文化広場の舞台になっているあたりです。大家さんがあまり犬好きではなかったので、繋いで飼っていましたが、すぐ近くが小学校だったため、子どもがやってきてはちょっかいを出すので困りました。特に男の子は乱暴で、なつめはいまだに小さな子どもによく吠えるのは、この頃がトラウマになっているのではないかと思います。


そろそろ1歳という頃です。実は1歳まで無事に成長するというのは、当地ではなかなかに大変なことなのです。みな放し飼いのため、ジステンパーに罹って死ぬ子犬がほんとうに多いのです。私がいくら気をつけていても、他の犬との接触も多いし、もちろん道端の汚物なども菌に汚染されていることがあります。以前、樊家山にいた頃には、いっしょに住んでいた人が次々拾ってきて、一時は子犬が4匹いましたが、1匹も育ちませんでした。


ジーチャンの家には半年くらいしかいませんでした。そろそろ寒くなってきたので、なつめを部屋の中で寝かせようとしたら、大家さんが、「犬を部屋に入れないでくれ」といってきたからです。ネズミがぞろぞろ這っているような、めちゃ汚い部屋でしたが、要するに彼女は犬が好きではないんだということがわかって、今度は犬好きを条件に探しました。それがゲンワン夫婦の家で、以降、日本に行くまで、私が留守の間いつも面倒を見てもらいました。

ここの家には猫がいたのですが、特にトラブルはありませんでした。なつめが猫を追いかけるのですが、猫の方が俊敏だし、大家さんも鷹揚な人でしたから。犬猫一緒に飼っている家もありますが、子どもの頃から一緒に育てると、ほんとうに仲良く暮らしていますよね。だいたい猫の方が1枚上手ですが。しかしなつめもなかなか辛抱強くて、木に登った猫を、下でずっと待ち続けていることもありました。


ゲンワンの家にいたのも1年くらいでした。天井からパラパラ土くれが落ちてくるようになり、PCの上に降りかかるような状況になったので、イージャオの家に引越しました。それまでおばあちゃんがひとりで住んでいたのですが、高齢のため生活が不便になって、近くに住む息子の家に移って、そこが空いたからです。今度はひとり暮らしで、なつめも繋がれることなく、のんびりのびのびと暮らしました。

なつめはおりこうさんで、こうやって干してある棗には絶対に手を出しません。外に連れ出すと、野原に落ちている棗をいつも食べていたのですが、どうやって区別してるんでしょうか?いたずらをして困る、というようなことは何もありませんでしたが、なかなか人に慣れない犬でよく吠え、村はずれのひとり暮らしの私にとっては、心強い番犬でもありました。



この年はよく雪が降りました。童謡にもありますが、犬はなぜ雪を見ると喜ぶんでしょうか?やっぱりもともとが北の動物だったから?雨が降っていると、自分では部屋から絶対に出ないのに、雪だとダァーツと飛び出して、飽きることなく身体中を雪だらけにして遊んでいました。気兼ねしなければならない人もおらず、ここの暮らしは私も快適でした。ただし、ネズミが多いのが難点でした。。。


車で聞き取りに行くようなときには、なつめも一緒に連れて行きました。これは、磧口からずっと山の方に入った、中興社という村です。賀家湾小学校の先生をしていた青年の実家で、何日か泊めてもらいました。

ここの隣村に、「日本語を話す老人がいる」と聞いて出かけました。話す、というのは大げさで、単語を少し覚えているだけでしたが、彼はかつて、日本軍の“御用商人”をしていた人で、興味深い話をたくさん聞きました。日本人とマージャンをやって大勝したことがあったそうですが、「ちゃんと払ってくれました?」と聞いたら、「もちろん。日本人は真面目だからウソをつかない」と真剣な顔をしていったのがおかしかったです。広い黄土高原には、いろんな人がいます。


この安らかな寝顔。高原にも春が近づいてきて、陽の光もほっかり温かくなってきました。そろそろ散髪をしないといけないですね。


私個人的には、この写真が大好きです。刈り入れが終わってから翌年4月までの半年間、畑に出る人はいませんから、広大な黄土高原をぜ〜んぶひとり占めして存分に走り回ることができます。なつめはどうやら優れたブレーキ機能を持っているようで、直回転がとてもじょうずです。5月くらいになって、畑に種蒔が始まると畑には入れられませんから、休耕田や谷筋の方に連れてゆきます。ロープで繋がなくても、私が見える位置から遠くへは行かないし、姿が見えなくなったら大きな声で名前を呼べば、どこからか砂塵をたててすっ飛んできます。向こう側に見える集落が、樊家山村です。


とにかく好奇心旺盛、動くものは何でも追いかけます。ゴキブリ(こちらのゴキブリは大きくて丸っぽい)やバッタやサソリやクモはもちろんのこと、アリンコ1匹でも追いかけるし、鳥やハエやハチにも果敢にジャンプアタックします。ネズミも捕りはしないけれど、追いかけるので、奥の方でゴソゴソしてても、あまり外には出てきませんでした。


散歩の途中で“奇妙なもの”、例えば案山子とか切り株とかビニールが何かに絡まりついているとか、に出会うと、立ち止まってまずじっと“相手”を観察します。それからワンワンと吠えて威嚇し、相手にしばらく反応がないとあきらめて、「なんだ、にんげんじゃないのか」といった感じでスッと身を引きますが、この間かなり長い時間を要して、なつめなりに“熟考”しているようです。


このゴムのおもちゃはなつめのお気に入り。中に小さな鈴が入っていて、振り回すとチリチリ音がします。ときどき見失うのですが、どこかに隠すんですね。いつのまにやらまた振り回して遊んでいます。日本まで持って来ました。


なつめが3歳になった頃の秋です。なぜこんなにうっとりした顔してるのかはわかりません。この赤い実は、(多分)ナス科の野草で、山の畑のあちこちで、春には紫色のかわいい花を付けます。この実を食べてるわけではありません。


一時期かなり肥満体になりました。日本に来てからはドッグフードに切り替えましたが、村にいた頃は、いつも一緒に暮らしていたので、どうしても私が食べるおやつ類を欲しがります。夜中に、なるべく音をたてないように、クラッカーみたいなものとかパリッと口にすると、奥から出てきて、「なんであんただけたべてるの?」といった批判的な眼差しで私を見つめて、じっと動きません。決して甘えた感じで“おねだり”するわけではないのです。しかも、すぐには出て来ません。しばらく置いて、あるタイミングを見計らってから出てくるのです。私もついつい、「お互い、明日はどうなるかわからない身だから、まぁいいか」とあげてしまうので、どんどん肥りました。以降は、健康のためにダイエットさせました。


これは下のコメントにある、現在の里親のY君の自撮です。