李家山再開発 つづき

磧口にひとつ用事があったので、李家山にいたのは2時間半くらいで、登った時とは違う道で麓までおりました。眼下に黄河がよく見わたせる道です。ただ、きのうご紹介した、村の建物の修復などは行政がお金を出しているわけだし、孫さんがいっていた、個人が投資したウン百万元というのはいったいどこに使っているのだろうと、不思議に思っていたのですが、ありました。これですね。




逆光だったし、写真を撮った位置がよくなかったのですが、壮麗ともいえる賓館が目下建設中でした。もっと高いところから見ると、広大な敷地に石組みの庭園なども配置され、目の前を大黄河が滔々と流れ、楼閣のような建物に上れば、さぞかし古代の皇帝の如き豪華絢爛な気分に浸れることでしょう。

実は磧口という街は、もともと“黄河の渡し”として開けたところですから、川べりに近い低い位置に街が開けていて、黄河の眺め自体はあまりよくないのです。上流方向にも下流方向にも蛇行していて、見渡せる距離もあまり長くありません。河畔に下りても、水は黄色く濁っているし、上流の生活用水の排水で、風向きによってはものすごく臭うし、決して美しい河とはいえないのです。そこで李家山に目を付けたのでしょうね。村の修復自体は行政がやってくれるわけだし、車なら40分くらいのところに飛行場もできたし、割のいい投資だと思います。





磧口です。国慶節休暇も終わって、今は閑散期なので、観光客の姿はチラホラでしたが、繁盛期には、この“映画村”のような街並みが観光客と画学生と写真愛好家でいっぱいになります。北京どころか、上海や広東からもお客さんがやってくるのです。顔見知りの白タクのおっさんに聞いても、屋台で焼きそばなんか売っているおばさんに聞いても、商売は上々のようでした。私には、どうもその感覚(ハリボテだらけの街を愛でる)が理解できません。

もちろん、磧口も李家山も、一大観光地として発展して、村人の暮らしがよくなればいいとは思います。ウン百万元投資した、目先のきくその人も、早々と元をとるかもしれません。しかし、これらの村や街を長い長い時間をかけて守ってきたのは、他ならぬ、シーチャンやラオダーやイーランたち、無名の農民たちです。安逸な暮らしを求めて村を捨てた(それもまた、私は否定する立場におりませんが)人も多い中、ひたすら過酷な労働に耐え、守り続けてきた遺産を分かち合うべきは、まずはそういった人たちのはずではないでしょうか。李家山の再開発が、せめてシーチャンの晩酌の酒代にまで及ぶことを祈るばかりです。