バーグゥアン

孫さんの埋葬は、13日早朝無事に終了しました。今回のように子どもが誰も成家(チャンジャー)していない、つまり所帯を持ってそれなりに収入がある、わけではない場合、葬儀は行われず、ひっそりと埋葬だけされることが多いのですが、4人の兄弟姉妹がお金を出し合ったのでしょう、簡素ながらも祭壇がもうけられ、夜には楽隊(ユエトイ)もやって来ました。

当地の葬儀では、このユエトイがいないことにはにっちもさっちもゆかないほど、ユエトイは必要不可欠な存在なのです。様々な儀式の合図はユエトイの音ですし、お悔やみに来た人が焼紙(シャオジー、日本でいう線香をあげる)するにもユエトイが必要だし、葬儀関係者や棺の移動は、すべてユエトイが先導するのです。

このユエトイの“葬送の曲”というのが、とにかく賑やかを通り越して、ドンチャカブンチャカ!ドンドンガンガン!耳鳴りがするほど“やかましい”のですが、今回しみじみ、「これでいいのだ」と納得しました。おそらくは、苦難に満ちた孤独な人生に、両親の眠る故郷の山にたどりついて、今まさに終止符を打った孫さんを送るのに、寂しい曲ではあまりに哀し過ぎる。

どうやら曲目も楽譜もないようで、ジャズの演奏に似ているといえるでしょう。当地のネット環境では、みなさんにお聞かせできないのが残念です。

ちなみに、当地の葬儀では、故人の親、連れ合い、兄弟姉妹というのは、ほとんど表に出ることはなく、あくまで子どもとその下の代が葬儀を執り行うのです。孝衣(シャオイー)という、白い喪服も上記の人たちは着ることはありません。まったくの平服か白い帽子を被るだけです。埋葬にも参加しません。これには一理あって、葬儀はあくまで、その家にとっては、世代が交代する儀式であって、個人にとっては最終儀礼であっても、家にとっては通過儀礼であるという位置づけだと思います。ですから、故人が若い場合はともかく、“天寿を全う”した老人の葬儀は、少しも暗くはないのです。

ですから、孫さんの埋葬も、親族は長女と次男のふたりだけという寂しいものでしたが、幸いなことに孫さんの希望通り、両親の墓から道ひとすじを隔てた向かい側の畑に埋葬されました。すでに初七日も終わり、そのときにDVDも焼いて渡しました。次に彼らが太原からやって来るのは、四十九日ということになり、これは日本と変わらないようです。

さて、13日の出棺は午前6時ということで、前夜は早めに帰ろうとしたら、孫さんのすぐ隣に住む賀さんのところで、14日に合葬があるというのです。近々あるとは聞いていましたが、まさか連チャンとは思っていませんでした。それで、13日の早朝に「バーグゥアン」という珍しい儀式があるから見に来ないかといわれたのですが、孫さんの埋葬をほっぽらかして同じ村の別の人の葬儀ビデオを廻すわけにもゆきません。(写真;合葬は「喜事」なので、門口に紅い布が垂らされます)

「バーグゥアンて何?どう書くの?」と聞いても、「オレも見たことない」からわからないそうで、そんな珍しいものなら見たくって仕方ないけど、とにかく、孫さんの埋葬が済んでから、そのまま現場に駆けつけました。

それがこの写真で、どうやら結界を張るための儀式だったのではないかと思います。ですから、方位を見るので「バー」というのは「八」だと思います。「グゥアン」というのは、「観」かもしれません。こんな風景は、私も初めて見ました。真ん中で掘っているのが合葬墓で、この写真では見えない、向こう側の1段低い畑に、おじいちゃんとおばあちゃんの墓が並んでいます。それを14日に掘り上げて、15日に合葬するのです。おばあちゃんというのは、このブログのプロフィール写真のおばあちゃんで、3年前に亡くなりました。おじいちゃんは4年前に亡くなったのですが、偶然なことに、ふたりとも、私の帰国中に葬儀が行われたのです。

合葬は、一般的には後から亡くなった人の葬儀のときに、先に亡くなった連れ合いの墓を掘って遺体(あるいは骸骨)を取り出して合葬するのですが、“日が悪い”と、まったく別の日に、改めて合葬が行われます。これはすべて風水師が決めますが、執り行う方はお金もかかるし、大変です。

今回の合葬は、やはり非常に珍しい形だそうで、実は、2組の合葬が同時に行われるのです。上の写真の墓の左側にもうひとつ合葬墓が掘られていて、それは、この真ん中の墓に入る賀さんの従兄弟にあたる人みたいですが、彼らには子どもがなく、今回の合葬は、60何年かぶりに行われるのだそうです。当然、亡くなった人を知ってる人は誰もいませんでしたが、このメインとなる賀さんの家の長男(70歳)が、同じく執り行うようです。

*PCの調子が悪く、とぎれとぎれで、いつ終わるやら。。。