失われゆく風景

前回アップしてからすでに1週間がたってしまいましたが、なぜかというと、13日の孫さんの埋葬以降、急にとてつもなく忙しくなってしまったのに加えて、停電が続いたのです。今日はようやく3日ぶりに電気が来ましたが、明日の朝はどうなるか?わかりません。

今年の5月に、10日間近隣の村々の電気を止めて大工事をやり、以降は停電は「不存在」であると、工事のおっさんはのたまったけれど、これはまったくの大ウソで(おっさんは実際知らなかったと思う)、以前と状況は変わらず、いったい何のための工事だったのか?と、後になって首をひねって、ようやくわかったのだけれど、あの大工事は、何のことはない、村人のためではなく、炭鉱のためだったのです。

賀家湾村には炭鉱はありません。下の招賢の町には4つあって、うち2つはその名も「勝利炭鉱」という、かなり大きな炭鉱で、主に四川省からやって来た鉱夫たちが、おそらくは3000人くらいは働いていると思います。宿舎は外からは見えない裏手の奥の方にあり、外界からは隔絶された世界で、実際に彼らがどんな暮らしをしているのか、よくわかりません。

この写真は、私がいつも行く村の畑から撮ったものですが、隣村の樊家山にある小規模炭鉱です。私が7年前に樊家山に引っ越してきて3日目くらいに、ここで出水事故があり、30人くらいが亡くなっています。以降しばらくは閉鎖していたのですが、4年ほど前に経営者が変わり、また掘り始めていました。

くだんの電気工事は、どうやらそれまで自家発電だったこの炭鉱に、送電線を引くためのものだったのです。どうりで、今年になってから、やたらと新しい電柱が目に付くようになり、私のお気に入りの撮影ポイントも、どんどん電柱と電線に席巻されつつあるのです。大げさでなく、ほんとうに、5、6年前に撮った写真が貴重なものになってきました。

これは、隣の離石地区にある石灰工場ですが、一昨年できて以来、どんどん拡張されていて、フト気がつくと、より大きな建物にいつの間にやら変貌しているのです。孫さんが、まさに病身を削ってたどり着いた“ふるさとの山”は、すでに大きく形を変え、もしかしたらこの先、“安住の地”を追われる人たちも出てくるかも知れません。

ところで、中国の北部地域(揚子江より北)では、都市の暖房は地域ごと(例えば団地とか商店街とか学校など)に集中暖房されて、いつから始まるかも政府が決定します。北京では11月中頃からだったと思います。つまり、炭鉱はいま、1年で最も忙しい時期、つまり稼ぎ時なのです。

とにかく朝から晩までフル稼働で24時間、発がん物質PM2.5が、北京どころか、ハルビン西安でも危険な数値が出ているというのに、そんな大局のこと、先のことなどおかまいなしで、掘れば掘るだけ儲かるのです。村人には、秋口に1戸あたり1トンの屑炭(粉々に割れた石炭。夫婦2人暮らしなら、十分冬が越せる量)を配ってあるし、どうせ電気なんてそんなに使わないんだから、と、もうやりたい放題で、そのあおりを喰ってアップがこんなに遅れました。

おまけ。