“過酷な旅”

現在、瀋陽の西塔の民宿にいます。西塔は朝鮮族及び韓国人の街で、表通りの看板は、ハングルとの併記、裏道に入れば使用されているのは主にハングルです。15年ほど前、まだ私が中国に住んで居なかった頃に、朝鮮族の友人に教えられて以来、ひとりの時はいつも朝鮮族の夫婦が経営するこの民宿に泊まっています。もう親戚みたいなものですから、勝手気ままに出入りができます。

今日午後4時くらいに生徒たちは到着する予定なのですが、なんだか日本はものすごい悪天候みたいで、果たして予定通りフライトがあるのかどうか心配で、たびたび引率のTさんと連絡を取り合っているのですが、ほんとうに便利になったものですね、いま立川、いまは京成の中と逐一連絡が入ります。この民宿もwifiでネットが繋がり、昨日とまった安ホテルでも、wifiでした。中国のネット事情、とりわけ海岸部では、恐ろしい勢いで進行しているようです。(それに引き替え私が村は……)

そうそう、「銀座賓館」というのは、ここの経営者が以前日本に行ったときに、東京の銀座通りの美しさに感動し、それで付けたのだそうです。ということは、彼はほぼ間違いなく“日本びいき”ということで良かったです。これは、やって来る生徒たちにとっては、とても重要なことです。私たちのツアーは例年この時期で、間に9月18日を挟みます(今回は偶然前日に帰国)。“反日行動”が最も活発になる時期で、それを自分たちの目で見ることにも意義があるとはいえ、辛い思いをさせたことも何度もあり、せめて宿泊するホテルは“熱烈歓迎”であってほしいのです。

ところで、私は生徒たちと合流して以降は、まったく自由な時間がとれなくなります。普通、学校の研修旅行ならば、日本の旅行社にすべての手配を依頼し、現地ではガイドが付き、チャーターバスで移動します。お金も、日本で一括して支払い、持ってくるのはお小遣い程度でしょう。

ところが、ウチの学校のツアーは、それらすべてから遠く離れ、教育委員会が実態を知ったら、間違いなく腰を抜かす、“過酷”なツアーなのです。まず、言葉がわかる者が私以外にひとりもいません(私もたいしたことないですが)。極端にいえば、トイレに行くにも水を買いに行くにも、私が連れていかなければなりません。後半になると、必ず風邪をひいた、腹が痛いという生徒が続出し、私は薬局に走り、時には病院まで連れていかねばなりません。ホテルのチェックインアウト、タクシーを止めて行き先を告げ、次の移動の為に列車やバスのチケットを手配し、レストランに入って注文支払い。何から何まで、私が彼らのすべてのお金をバッグに入れて背負って、その都度支払いながら、もちろん最後の帳尻は合わせなければなりません。私が途中で倒れたら、おおげさでなく、このツアーは成立しなくなるのです。

なぜそんなに“過酷”な手段を選ぶかというと、ひとつには、ウチの学校は低所得者層の子弟が多く、高い旅費では参加したくてもできないからです。ただ、私個人的には、旅というものは、とりわけ若い人にとっては、過酷であればかるほど、得られるものも多いと考えているからです。

星のたくさん付いた快適なホテルに泊まり、ガイド付きの観光バスで、高い目線から異国の街を見下ろして旅しても、せっかくのチャンスで得そこなうものは多いと思っています。可能な限り“目線を同じくする”ことにこそ、辛いことも多いけれど、きっと若い彼らにとって、意義ある時間を消費できることに繋がるのではないか、というのが、一貫した私の“旅観”なのです。もっとも、以前、瀋陽のホテルの部屋を、ネズミが走ったことがあったらしく、以降いくらか上方修正していますが。

ということで、この先、ここに書き込む時間的余裕があるかどうかは微妙ですが(夕食後は毎晩ミーティングで、それぞれ感想など話し合います)、Thomas さんのご要望もあったので、例えメモ程度でもアップしてゆきたいと思っています。

ゆうべは最後の自由時間で、マッサージに行って、その後自家製のマッコルリとチジミで“最後の贅沢”をしました。この楽しみがあるから、私は西塔が好きなんです。

いま連絡が入って、飛行機は予定通り飛ぶようです。風邪も何とか抑え込んだし、これからの2週間、頑張りますっ!