『撫順』

いま撫順の「銀座賓館」というホテルに泊まっています。去年開店したという4階建てのエレベーターもない小さなビジネスで、星などひとつも付いていませんが、私は予約するときからこの名前がとても気になっていたのです。中国でも“銀座”という言葉は使うことはありますが、それほど多くはありません。なぜ気になるかというと、このホテルは、当時日本人が最も多く住んでいた、「永安台」という少し台地上になった地区に面して建っているからです。

フロントの若い女性に聞いてみたら、日本人が多くいたということも知りませんでした。前身はテレビ局の関連施設だったといいます。しかし、外観はまったく普通の四角いチャチなビルなのですが、内側の細部を見てみると、こんな安ホテルにしては造りが凝っているのです。テレビ局の、その前は何だったのか?やっぱり気になるのです。明日、年寄りを探して聞いてみたいと思っています。

*写真は、ホテルのすぐ近くにある労働公園のリス。ものすごくたくさんいて、散歩に来た人たちによくなついているのです。黒リスというのも初めて見ました。こんな風に手をあげてあいさつするんですよ。撫順市民の生活の豊かさを感じました。

以下は、数年前にネット上で見つけた、笹本征男さんという人の詩です。これが書かれたのは2002年、笹本さんは2010年に亡くなられています。

撫順 

母が二十代の一時期いた撫順

その頃の写真が一枚ある

白い割烹着にエプロンをした

髪を真ん中で左右に分けた若い女がいる

窓ガラスに十字の張り紙をしたカフェの前だ

母はそこで働いていた

時々馬賊が殺されるのを見た、と

声をひそめて語ったことがある

九州の佐賀の寒村から中国に渡る

ひとりの若い女

一九四〇年代の撫順

母には侵略者ということばが似つかわしくないように

思いたい、が

無告の民もやはりその一人だ

母の一枚の写真とそのこととの距離

大正五年生まれの母に問えない撫順もある