我家在黄土地上

先回のアップからすでに半月以上が経ってしまいました。この間ほんと〜にバタバタと忙しくて、なかなか余裕がなかったのです。

まず、雨が降り続きました。ようやくにしてこの4日間ほど晴れているのですが、予報によると、来週もまた降ります。50ミリほども降った大雨は、3回くらいで、その他はだいたい10ミリ程度なのですが、とにかく黄土は水に弱いですね。海辺で作ったサンドアートのように、ザックリ!と崩れます。

私の部屋の天井の滲みもじわじわ広がっていますが、ちょうど入り口に近い端の位置の片側なので、万一崩れたとしても、私が生き埋めになることはないでしょう。

ところがつい先日、私が前の前に住んでいた、つまりいつもなつめを預かってくれる、ゲンワンの家の屋根が崩壊したのです。写真の左側が以前私が住んでいた部屋で、今はゲンワン夫妻が住んでいます。崩れた部屋は台所兼物置として使っていた部屋なので、幸い人的被害はありませんでしたが、部屋のど真ん中が崩れ落ちて、ぽっかりと空が見えました。いつ隣の部屋が崩落するかわかりません。私は月末から3週間ほど瀋陽の方へ行くので、まずはその間使ってくれといっているのですが、ゲンワンは、「没問題」といって譲りません。周りの人たちも一人残らず危険だといっているのにです。今は娘のところに行っているオクサンが戻って来て現場を見れば、きっと気が変わるとは思うのですが。

14日に場焉という村に行ってきました。以前ご紹介したことがある、元八路軍兵士孫振発老人の故郷です。過疎化の進行が激しい村で、至るところ廃屋が無残な姿をさらし、その上に土砂崩れがおきてもそのまま放置しかすべはありません。

途中の結縄焉で道路が崩れて、そこからバイクに乗り換えて目的地まで行きました。ここは、離石と臨県を結ぶ幹線道路なのですが、舗装したコンクリートの下側で、ザックリと崩落しています。こういう崩れ方はしょっちゅうで、上のコンクリートの板(?)だけが、つり橋のようにぶらんと残っている恐ろしい光景を、これまでも何度か見たことがあります。

ここだけではなく、バス道のあちこちで崩れているようで、そもそも途中に1ヵ所だけあるトンネルが崩れ落ちて、この復旧にはそうとう時間がかかりそうです。今は離石に行くには、相乗りのタクシーで迂回路をとって行くしかないのですが、この迂回路がいつまた崩れるかわかりません。私は月末には太原に行って、そこからハルビンに飛ばなければならないのですが、私が行かないことには、生徒たちのツアーはまったく不可能になる(旅行社通してない)ので、とにかく“歩いてでも”離石まで行かねばなりません。40キロほどあります。

雨は一日中降り続くわけではなく、昼間はけっこう気温が上がります。すると必ずセットのようになって夜は雷雨が来るのです。山の雷ですからそうとうに激しいやつがバリバリ、ドッカーン!と来るのですが、そうなる前に、さっさと電気を切ってしまうんですね。酷いときには、秋の虫が小夜曲を奏でる静か〜な夜なのに、明け方に雷雨があるという予報を読んで、これまたさっさとお切りになる。自分たちが安らかにお休みになるために(ま、私の推測ですが)で、雷がおさまれば電気が来るはずなのに、なぜか翌日の午後まで来ないんですね。こんな日々が続いています。

停電とは直接関係ないはずなのに、無線でつないでいるネットが繋がりません。私は今、ウチの学校のツアーのためにホテルや切符の予約等々、1年で一番必要なときなのに、もうイライラがつのってブチ切れそうになることたびたび。

イージャオの隣の工事で出た土砂とゴミと荷物は依然としてそのまま庭に放置されて3ヶ月余。最初は「1ヶ月ちょっと」、次いで「2ヶ月くらい」、三度目には「はっきりいえない」、そしてその後「ウチがイージャオから借りているんだから、お前がごちゃごちゃいうな」といわれるに及んで、ようやく自分でやるのが一番はやいことに気づき、毎日雨の止み間を選び、陽の陰るのを待って、先のひしゃげたスコップ1本でぼちぼちとかたづけています。すでに2週間ほど。これが並大抵の労働ではないのですが、3人の息子たちは村には住んでおらず、私より年上の隣のばあちゃんは指1本貸してはくれず、なんであんなに汗水垂らしているんだろうと、不思議そうな顔をしています。「すみませんね」の一言など、この地では不存在です。

私がなぜそんなに急ぐかというと、水を取りたいからです。なぜなら、私は現在給水車の水をストップされているのです。運転してくる兄ちゃんが、どうやら日本人嫌いで、「お前に水は汲ませない」といわれてすでに半年。この間もらい水をしたり、みんながいなくなってからこっそり汲みに行ったりしているのですが、とにかく早く庭をきれいにかたづけて、井戸の取水口を開けたいのです。雨が降るのは8月から10月はじめまでで(今年は異常ですが)、私は9月はいないし、11月ともなれば、たとえ降ってもそれはもう雪なんです。

なつめは相変わらず庭では繋ぎっぱなしなのと、雨と暑さでストレスがたまって、またアトピーを発症して一日中バリバリやっていてかわいそうです。それで仕方なくなつめ用の寝袋を作って、ときどき炕の上にあげて寝かせています。するとあんまりバリバリやらないんですね。朝まで袋の中でおとなしく寝ています。

そうそう、ミニトマトね。夏が終わるまでに、ひとつだけ、たった一粒でいいから、真っ赤に熟したのをもいで食べたいです。

とまあ、相変わらずこんな悲惨な毎日を送っていたのですが、ひとつだけ感動的に嬉しいことがあって、それが先回のコメント欄にfjosh氏が書いてくれたこれなんです。

http://ameblo.jp/thomas-penfield/entry-11587756249.html

なんかすごくありません?あの徹底的に売れない本(もちろん商業的に売れればいいとは思ってない)を海の向こうで読んでくれた人がいた!しかも、プロフィールを見ると、東京生まれで、“満州”で少年期を送り、その後はフィラデルフィアで暮らしている、朝鮮族アメリカ市民の84歳の thomas penfield さんって、いったい何者?10代で渡米しているのに、なぜこんな日本語が使えるわけ?朝鮮族だから朝鮮語も話せて、“満州”にいたから中国語もできるわけ?

エントリーのタイトルに「我的家在松花江上」てのが目に付いたけど、私、9月2日には、その松花江のほとりにあるホテルに泊まるんだよね。彼が過ごした“満州”て、ハルビンなんだろうか?ああ、いろいろ気になって仕方がない。なんだろう、すごい縁(えにし)みたいなものをビビッと感じる。fjosh氏ありがとう。これからゆっくりブログ読ませてもらいます。