雨よあがれ!

私めの不肖の弟が行き倒れて救急車で搬送され、アブナイという連絡が入ったので先月末に帰国しました。ところが恐ろしいほどの生命力で持ち直し、とりあえずは安定したので、8日午後中国に戻りました。

日本でのスケジュールが心身ともにきつきつだったので、いつもにも増してぐったりお疲れで、北京1泊太原1泊、そしてゆうべは離石のホテルに泊まりました。今日夕方には多分村に帰れるでしょう。というのは、数日来ずっと雨が降っているようですが、村までの道路事情がはっきりしないからです。

いまはホテルでネットの繋がりも良いので、この間つれづれに撮った写真を、なんの脈略もなく。。。でないと、またご心配の方もいらっしゃると思うので。ほんとうにありがたいことです。

8日の東方航空青島経由北京行き(安かったから)だったのですが、北京の方が大雨だとかで、中部空港で1時間半、青島で1時間遅れました。日本の空は青かったのですがね。

機内食も経費節減のため、だんだんしょぼくなってきています。JALとの共同運航便だというのに、これだけ。右下のものは蕎麦の上に肉や野菜がごっちゃり。特にまずくはなかったですが、奇妙な味でした。さっぱりした蕎麦が食べたかった。

私は“北京アレルギー”があって、とにかく北京は一時も早く離れたいので、その日のうちに太原に向かいたかったのですが、飛行機が遅れたことと、学生の夏休み(同時に学年末)帰省が重なったので切符がとれず、やむなくYHに泊まりました。

翌日の昼の「高鉄」(高速列車)に乗るため、ようやく完成した地下鉄北京西駅へ。この写真はすでに構内に入ったところ。なによりありがたいことは、上り下りともエスカレーターがあることです。地下鉄北京駅には上りしかありません。

この写真を見て、中国のイメージじゃないと思う方はきっと多いと思います。服装も持ち物も日本と変わりません。つい数年前まで、車の付いたスーツケースを引っ張る人はそれほど多くなく、とりわけ西駅は、ドンゴロスにぱんぱんに荷物を詰めて担ぎあげた農民工の姿で溢れかえっていたものでした。

日本と違うのはこれ。特に新政権になってから、この手のスローガンがぐっと増え、地下鉄の車内放送でも「中華民族の伝統にのっとり、必要としている人に席をゆずりましょう」とくり返しています。つまり、譲らなくなったんですね、それは私も実感します。日本と同じく、みなスマホに夢中ですから。

北京西駅の裏口。日本の新幹線と同じように、「高鉄」はだいたい裏側から入ります。この窓口で切符と身分証を提示しなければ中に入れません。入場券を買うには普通の切符を窓口で提示して、ひとり1枚しか買えません。しかも高鉄の切符では買えません。とにかく構内に入ることすら制限しているのです。

構内の売店。マックとケンタは向かい合わせにありました。ケンタに1つ3元のソフトクリームがあって、私はときどきこれを食べます。パネルにも表示してあったのでそれを買おうとしたら、1つ12元のものしかないというのです。むかついたので止めました。

北京を出るとき雨は止んでいたのですが、太原は雨。これは泊まったホテルの窓からの風景。正面の「中山生殖医学医院」の看板には、「不到中山 別放棄 做媽媽」と書いてあります。中山に来るまではママになることをあきらめないで、という意味です。ちなみに、「試験管ベビー」をうたっている看板も見たことがあります。

翌日、夕方の切符しかとれなかったので、午前中に太原駅近くにある「双塔寺」へ行ってきました。雨のため観光客の姿もなく、境内はひっそりしてなかなか風情がありました。この項に関してはまた後日くわしく。

昨日の午後5時半の列車に乗って呂梁まで。離石も雨、予報を見るとこの先10日間はほぼ毎日傘マークになっています。10日後の予報はまだわかりません。あれだけ雨がない雨がないと困っていた農民たちにとって、これだけ降り続いては。。。また新たな悩みが始まります。