なつめよあれが北京の空だ

この話には、実は非常に長〜〜い前フリがあって、しかもそれが、まったくしょうもない話で、私も書きたくもなかったし、みなさんも読みたくもないような話なんですが、これがないと、なぜなつめが北京まで行くことになったのかわかりづらいので、タラタラと書き連ねてみます。ほんとうに長いですから、お忙しい方はスルーをお勧めします。

えーと、私が現在住んでいるヤオトンには、一昨年の5月に引っ越してきたのですが、実をいうと、隣の部屋に住んでいるシュエ先生の家族との関係がまったくうまくいかなのです。それまで9年間、自分たちだけで自由に住んでいたのに、突然赤の他人がやってきたので、彼らが私をうっとおしいと思う気持ちは、よく理解できます。それで、なんとかして私を追い出そうと、あの手この手の意地悪を連発して、もうそろそろ2年にもなろうとしているのです。私の忍耐力も相当なものだと思います、自分ながら。

どれくらい意地悪かというと、例えば今回10日間も停電が続いて、私は食事はおろか、湯を沸かすことすらできなかったわけですが、庭にあるカマドを使わせてくれないのです。今の時期は部屋の中で炊事をするので、外のカマドは使ってないし、そもそもがシュエ先生のものではなく、今は太原に住んでいる大家さんの所有物なんですが、カマドの上に自分の家の荷物をこれ見よがしにごっそり積み上げ、その上にムシロまでピチッとかけて、“何が何でも使わせない”という決意がありありと汲み取れ、私も何かひとこという気にもなりません。清明節休暇で2人の子どもも帰省し、親戚の人もやって来て、わいわいがやがや楽しそうに食事の用意をしているのですが、私のことなど誰もまったく気にならないようです。ただし、私が日本人であるかどうかということはいっさい関係なく、非常に単純で、とてもわかり易い人たちです。

もっとも、こういった状況を近所の人たちはよく知っているので、湯など誰だって沸かしてくれるし、こっそり食べ物を持ってきてくれる人も何人もいるので、私自身はもう慣れっこになってしまって、平気の平左、どうぞご勝手に、で10日間は過ぎました。

ところが、“坊主憎けりゃ”ナントヤラで、なつめにまでヒドイ仕打ちをするので、私はずっと心を痛めているのです。去年の4月でしたが、スコップで殴られて鼻面から血を流しましたが、もう少し脳天の方に命中していたら、あるいは私がなつめの悲鳴を聞いて駆けつけるのが少し遅れていたら、間違いなく死んでいたでしょう。ロープに繋がれていたなつめを、部屋から引きずり出して殴っていたのです。以来、私は30分と、なつめだけを彼らの手が届くところに置いて外に出ることは絶対にありません。場合によっては、10分でも心配です。

そして去年、隣りの家にネコが来たのですが、そのネコをなつめが追いかけるので、それを嫌って、庭でなつめを放すことを禁止してきたのです。なつめの方が先に住んでいて、あとからネコが来たのだから、なつめが追いかけるのもいわば自然な行為だし、追いかけるといっても、噛み付くわけでもないと思うのですが、それでも万が一怪我でもさせたら、どんな恐ろしい仕返しがあるかもしれないので、やむなく常に縛って飼っています。

それまでなつめは1日の半分は自由にさせていたし、夜は庭に放していたのですが、私が外に連れ出さない限り、まったく自由を奪われてしまったわけです。その上にネコの方は自由になつめの前を行ったり来たりしているわけだから、それを見てまたなつめがこれまで以上にわんわん吠えるのです。よく見ると、身体中をぶるぶる震わせていたりします。ネコだけでなく、近所の人が来てもよく吠えるようになりました。それでまた彼らが「うるさいっ!」「ぶち殺すぞ!」みたいな感じで怒鳴りつけるので、なつめはほんとうにかわいそうです。このままでは、犬だってノイローゼに罹ってしまいます。

でいろいろ考えた末、なつめを日本に連れて帰ることを決心したのです。これまでも上記の問題とは別に、チラと考えたことは何度かあったのですが、とにかく、膨大な手間とお金がかかるし、そもそもなつめにとって好ましいのかもわからないので、それはあきらめて、本帰国のときには村の誰かにもらってもらうつもりでいました。ただ、それもここ2、3年の話だなぁとは思っていました。それを過ぎればなつめももう“老犬”になってしまうし、今は欲しいという人は何人もいるけれど、時期が過ぎれば貰い手を捜すのは難しいかもしれません。しかし老犬になってしまったなつめだけを残して帰国することはあまりに切なく心残りだし、これをいい機会と捉えなおし、思い切って決断をしたわけです。もっとも私自身がいつ本帰国するか(あるいはしないか)はまったく決まっていません。

日本に犬を輸入する手続きというのが、どれほど煩雑であるかは、外務省のHPを見ていただくと想像できると思うのですが、おそらくは、最後まで読む気にはならないでしょう。私もこれを見て何度も挫折しました。

http://www.cn.emb-japan.go.jp/consular_j/animal-ctoj_j.htm

とにかく、狂犬病の予防注射を、中1ヶ月おいて2度以上打って、その後半年間の滞留期間を過ぎると日本に連れて帰れるのですが、その前にマイクロチップを埋め込んだり、血清を日本の検査機関に送って検査結果を返送してもらったり、その他にもあれこれ厳しい基準があって、それらをすべて満たすためには、外務省が指定している北京の「北京観賞動物医院」まで連れてゆくしかないのです。狂犬病の予防接種だけなら離石でもできるのですが、国際基準にあったマイクロチップなどというシロモノが、こんな山西省のド田舎にあるわけはありません。太原にもそこそこの病院はありますが、とにかくほんの一点でも基準を満たしていないと日本に入国できず、場合によっては殺処分されてしまうので、無難な方法を選択するしかないのです。ところがここに大きな問題が出現して、中国では公共交通機関に動物は乗せられない、のです(特例はあるらしい)。

つまり、車をチャーターするしかなく、この間いろいろな旅行社にあたってみました。一番信頼できる中国一の「国旅」で聞いてみると、1往復で8200元(つまり10万円ちょっと。距離は片道1000キロ弱。片道でも往復でも料金は変わらず)、それが3回(最後の帰国を含めて)必要なわけですから、現在のレートで考えると、それだけで軽く30万円を超えてしまいます。それに、最後には飛行機代がかかるし、その他もろもろ病院や検査機関に払うお金やその間の私の移動費等々を含めると、おそらくは40万円超。これを何とか捻出しなければなりません。

しかしとにかく、国旅は高いので、もう少し安くて、かつ信頼のおけるところ、ということで、太原の街中の老舗ホテルに入っている旅行社に問い合わせてみたら、太原→北京で3800元。それを、中国人の友人に頼んで、電話で値切ってもらって、3000元。そして当日には、閑散期だからといって、こちらが何をいわなくても、2800元にまけてくれたのです。それから、村から太原までは当地のミニバンで、片道が700元。つまり合計1回で4200元、3回で20万円を大きく切りました。ただしもちろんのこと、村人にとっては、犬一匹のために青天の霹靂的金額だから、ナイショになってます。

さて、ここまでが前フリで、ここからようやく本題です。

8日の昼前に、招賢の町から出発しました。運転手は、顔見知りの磧口の人で、村まで来てもらうと怪しまれるので、私がなつめを連れて招賢まで下りたのです。運転手には太原まで行って手続きをするのだといってあります。

村からだとだいたい4時間くらいで太原に到着します。なつめは車には何回も乗っているし、車に乗るときは必ず私が一緒にいるわけだから、少しも嫌がらず、吠えたりもせず、とてもいい子にしています。途中でおしっこ休憩を入れるわけですが、車から連れ出すと、必ずおしっこもうんこもしてくれるおりこうさんです。

例によって、高速上で何が起きるかわからないのですが、今回は何事もなく、平穏無事に3時前に太原の中心部にある旅行社に到着し、まずはお金を払って契約書を取り交わしました。2800元以外には、運転手の食事代と泊まるときは宿泊代が必要になり、1日を超えると割増料金になります。今回は、病院でかかる時間にもよるけれど、1時間くらいならおそらく日帰りが可能だと旅行社がいうので、その予定で話を進めました。泊まる場合は、まずなつめの宿泊先を用意しなければならないし、運転手と私と2部屋とらなければならないのでお金もかかり、あれこれ面倒なので、日帰り、ないしは、状況を見て途中のサービスエリアで休憩をとるということにしたかったのです。

話はその線でまとまって、さて、なつめを預けなければなりません。しばらく前からネットで調べていたのですが、中国では“ペットホテル”といったようなものはないようで(上海あたりの事情はわかりません)、動物病院で預かるところもあるようですが、主に、個人でいわば自宅を使って副業としてやっている人がネット上にたくさん宣伝を出していました。餌は各自持ち込みで、一泊20元から50元くらいです。その中に、旅行社から近いところに一軒あったので、前もって予約電話を入れ、ドコソコまで来たらもう一度電話をせよということで、ドコソコまで行って携帯を鳴らしたのですが、何度かけても出ません。30分くらいはかけ続けたのですがあきらめて旅行社に戻り、ネットで別のところを探してもらって、なつめをリュックサックに詰め込み、さてタクシーを拾おうとしても停まってくれません。なつめが頭だけ出しているからです。そこで念のためもう一度先のところにかけたら、今度は繋がったので、またなつめを連れて、歩いてそのドコソコまで向かい、ようやく目的の家まで行くことができました。この間2時間、私ももうクタクタです。

この家のご主人は、どうやらブリーダーのような仕事をしているようで、犬のことはとてもよく知っていました。日ごろ広大な黄土高原を縦横無尽に駆け回っているなつめもこんな鳥かごみたいなところに入れられて、とてもかわいそうでしたが致し方ありません。せめて、ふとんだけでも持ってきて良かったです。

さて翌朝は6時に運転手が迎えに来て、なつめを受け取りに行き、6時半には太原を出発しました。車は8人乗りの国産RVです。もっと小さな車でよかったわけですが、北京まで500キロを1日で往復する予定ですから、これくらいの車でないと難しいでしょう。こちらではチャーター車というのは、大型バス以外はみんな個人持ちで、旅行社の外部発注ということになります。運転手の張さんは中国人にしては珍しく物静かな人で、私もあれこれ(今年いくつ?子どもは何人?ここで何してるの?給料はいくら?名前は聞かれません)聞かれることなく、後部座席でついウトウトとしてしまうのですが、フト気が付くとなつめが膝の上に乗ってきているのです。普段は遠慮して自分の方から上がってくることはないのですが、やっぱり何か雰囲気がヘンだぞと気づいて不安だったのかもしれません。

途中、事故処理で2時間停滞したのですが、張さんも家族持ちだから1日で帰りたいようで、飛ばすこと飛ばすこと。しかしウデの方は確かな感じで、もうここまで来ればすべてお任せ、寒の戻りで外は風が強くとても寒い日でしたが、私もなつめも一緒になってウトウトしながら北京に向かいました。
(つづく)