危房闘争

「危房」(ウェイファン)というのは、危険な部屋、建物という意味ですが、以前から何度も書いているように、賀家湾村の建物のほとんどが危房です。下の招賢にある4つの炭鉱のうち、一番古い勝利第一炭鉱の坑道が、村の真下を通っているからです。部屋の壁や土間に亀裂が走り、すでに崩落が始まって無住となっているヤオトンも何軒かあります。そして、庭に掘ってある井戸の底にも亀裂が入って使い物になりません。畑にも所々陥没したところがあります。

それで、私が村に来るもっと前から、村人たちは炭鉱と政府に補償を要求してきていたのですが、それまで何ら解決の糸口が見つからない状況でした。それで、一昨年の春、改めて大規模な権利要求闘争が展開されたのです。私はその一部始終を自分の目で見てきたのですが、政府にとっては最も敏感な問題ですし、ましてや外国人の私が海外に情報を発信するということは、大いに好ましからざる事火を見るより明らかなので、この間この問題に関しては、いっさい触れませんでした。

それが、ようやくにして、とりあえずの解決を見たのです。昨日昼前から、文化広場のあたりに村人がたむろしてわいわいがやがや賑やかなので、何が始まるのだろうと聞きに行ってみると、「午後からみんなに補償金が支払われる」というのです。普段は見たことがない顔ぶれもたくさんいました。1週間ほど前に、政府に最後の話し合いに行ったという話は聞いていましたが、補償金が支払われるというのは突然です。

この一昨年の権利要求闘争というのは、ちょうど同じ頃近くの別の炭鉱で激しい闘いがあり、4名の死者を出した結果、太原の裁判所が間に入って、農民たちの要求を認め、かなり高額の補償金が支払われたことがあったのです。血気盛んな若い衆が、それに刺激を受けたのではないかと思われます。この事件はネット上でも大きく報道されました。それで一時は、「誰かが死ななければマスコミも政府も動かない」と、かなり緊張したムードが漂い、私も傍で見ていてハラハラのし通しだったのです。

しかしその動きも一進一退で、農民たちはいつ解決するかわからない問題のために、命綱の畑を放っておくこともできず、けっきょくは日々の生活に戻っていったわけですが、水面下で交渉が進んでいたのでしょう。おそらくは、昨年代わった新しい村長の力が大きかったのではないかと思います。彼は私に「炭鉱問題の解決のために立候補した」とはっきりいっていましたから。

それでいくらもらえるかというと、1戸あたり年間4000元で、それを2回に分けて2000元ずつのようです。1戸というのは1世帯ということで、息子が結婚して別のところに住んでいても、戸口(戸籍)はそのまま賀家湾にあるので、それは1戸分です。例えば、私がよく言葉を交わすあるじいちゃんは、今はひとり暮らしですが、息子が3人いてそれぞれ結婚していて、その息子の息子、つまり孫もひとりはすでに所帯を持っているので、じいちゃんの分と合わせて5戸分、つまり年間2万元が支払われることになります。

すでに一家で引っ越した家もたくさんあるのですが、普通は戸口はそのまま賀家湾に残るので、対象者となります。現在賀家湾の戸口は、およそ400戸だそうで、昨日は半期分の80万元(約1千万円)が支払われたことになります。

村で食糧をほぼ自給しながら暮らすのだったら、老夫婦で月300元あれば暮らせます。棗やトウモロコシなど、換金作物もいくらかはあるわけですし。それに、町へ出た息子たちも、全額とはいわないまでも、ある程度のお金は親のところに置いてゆくでしょう。ですから極一般的に考えて、毎月少なくとも500元から場合によっては1000元くらいの現金収入となるわけです。村の小学校(今はなくなったけど)の代用教員でも月収700元ほどでしたから、これはもう、じいちゃんばあちゃんたちが朝からわいわいがやがや騒ぎ立てるのもよくわかります。問題は、この先何年間支払われるかということですが、それは決まっていないそうです。つまり、炭鉱がいつまで操業できるかはっきりしないからで、しかしそれでも石炭を掘っている間は払ってくれるだろうと、今はみな目先の補償金に“目がくらんで”、先のことは考えられないようでした。

招賢の町ではすでに昨年支払われたそうで、これはまったく別の交渉です。招賢は人口も多く、炭鉱そのものが招賢にあるわけですから、こちらの闘争はもっと過激でした。それで、とりあえず1回払いで(とりあえずが、どの程度の期間を想定しているのかは不明)、ひとりあたり8000元。これは赤ちゃんも含まれます。そうすると、例えば5人家族だとして4万元ということになり、賀家湾の10年分(1戸あたり)ということになりますが、どちらの方式がいいのかというと、私はむしろ賀家湾方式の方がいいのではないかと思います。一度に大金を持つと、バクチや派手な使い方をして、けっきょく短い期間に浪費し尽くしてしまう可能性が大いにあるからです。事実、すでにバクチですってしまったという噂もチラホラ。

この金額で十分であるとは誰も考えないでしょうが、とにかく、長い間の農民たちの要求がいちおうは通ったという結果になりました。賀家湾ではもちろん死者は出ていないし、目に付く後遺症が残るような重篤な怪我もありませんでした(それでも3人が入院)。何かと農民たちの権利がないがしろにされてきた中国社会ですが、私自身の目の当たりでこういった変化のきざしが認められ、なんだか私まで補償金をもらったような、ちょっと嬉しい気分です。

これは招賢のもの。完全に崩落していますが、これはヤオトンではなく、レンガを積み上げて造った平屋。

なつめは后ヤオという、部屋の奥にまた小さなヤオトンを掘り抜いて造った物置で寝ていますが;

ふとんを取るとこんな感じ。亀裂はそうとうに深くて、危険きわまりないです。まぁなつめは動物だから、イザという時は危険を察知して逃げてくれるでしょう。